5年モノ

5年モノ (初回限定盤)

iTunesにインポートした『5年モノ (初回限定盤)』に目をやる。とつぜん回数が気になった。「ひまわり」の再生回数に目をとめて感嘆。"102"と表示されている。ちょうど先月の今頃購入。1ヶ月ほどでそれだけ聞いたのか。所有したCDは一回性を有していない。そこに不思議が宿る。はじめて耳にした時に浮かぶ映像。人それぞれあるのだろう。

映像が先に浮かび、その時かかっていた音楽が表象するときもあれば、その逆、奏でる音や聞こえてくる詩によって映像が蘇るときもある。

どちらにせよ、一度湧き出た映像は、次から変わらない。聞くたびに映像も変化してよいもの。なのに私はどうやらそれをできないらしい。何度聞いても同じ映像が脳裏によぎる。

理由はわからない。経験値か想像力の欠如か。あの人との映像、しかも同じシーンばかりが繰り返される。不思議。

そんなこと考えていると、一回性がまとわりつく。手にした『5年モノ』は再生できる。毎日1回聞けば月に31回、同じ映像が脳裏によぎる。が、自分の親はそうではない。年に数回会えば吉。あと何回か。"回数"の概念ではない。一回性が現実になる実感。その質感を感じ取ったとき、自分のなかで何かが変わった。

奇妙なものだ。CDと親を結びつけてしまう。親不孝な子ども。まだまだ餓鬼。そうだ、臑を齧られる間は対話をしないのかもしれない。対話はその後なのかもしれない。わからない。でも、もう少し臑を齧られる一回性を噛みしめよう。ありがとう。