気がつけば変わっていた

ここ数年、数ヶ月に一度皮膚がおかしくなる。一度おかしくなると数週間続く。ちょうど、今、左肩から肩胛骨にかけてひび割れたようになって皮がぼろぼろとれる。発疹も。毎回変わり様は違う。いつごろからこんな身体になったのか記憶を辿ってみると、どうも独立した時期とかぶる。

だとしたら自宅で仕事をしているからか。環境の変化。心が原因で身体に物理的な変化をきたすこともあるのだろうか。わからない。あまり気にせず自然治癒にまかせる。

それよりも心がやっかい。不安と安定。この二つの間を往来する。互いに極性でありできれば安定したいものだと思っていた。が、どうもそうでもないようだ。頭が悪いなりに少し突き詰めていた。そもそも「安定」とはなんだろう。そんなものがあるのだろうか。

たとえば創業何百年という老舗に目をやる。変わっていない。しかし、「変わっていない」と察するのは「外」であって「内」はどうなのかわからない。変わっていないとは同じである。同じであり続けると、時代に濾過してもらえない危険をはらんでいる。

だから矛盾しているのだけれども、「同じ」であるために「変化」してゆくのだろうなと慮る。

「外」からは「変わらない」と安心してもらっているようで、「内」は「新しさ」を常に必要とする。「変わらないための変化」なのかもしれない。それを、先人は"温故知新"といったのか。

そう考えると、不安がうすれる。安定はない。「今」がある。

先はわからない。「安定」を求めて「不安」でいる時の「先はわからない」と、安定はないと得心して不安を捨象した時の「先はわからない」とでは、どうやら座りが違うようだ。

座りが違うと、眼前の景色も変わってゆく。おもしろい。変わりたいと願っても変わらない。今日を生き残れば、あら不思議、気がつけば変わっていた—–そんな生活になってきた。また明日がくる。昨日も終わっていない。