Amazing Grace

ひさかたぶりにテレビの画面に目をやると、本田美奈子さんが映っていた。AC公共広告機構のCM、曲はAmazing Grace。思いかけず、涙が床に落ちた。それに気づいておどろいた。ファンではない。ただ、訃報を耳にしたとき、三人称の死として心にとめておかけなかった。年齢か。でも、若くして鬼籍に入った人たちは他にもいる。

なぜだろうかと頭の片隅へやる。そして、そのまま、よし、散歩へ行こうと家を飛び出し、いつもの桜の木へむかう。目に飛び込んでくる情景を見つめながら、「今日はなぜこの景色に目がいったのか」を確認しながらそぞろ歩く。

桜の木の下。ああ、そうかと独りごちた。「年齢」ではない。明日、私も同じ「立場」になるかもしれないというここちよい恐怖感が我が身を襲ったからだと得心。10代の頃、姿なき影に怯え、20代はそれを忘れた。ただ、茫茫たる日々を送っていた。"いきながらのしびと"とは言い得て妙だ。

そして30代。姿なき影に怯えることはなくなり、今度はその姿を探すようになる。やがて、わかるはずもないとわかったとき、桜の生命力に他者を感じる。連続性のなかに潜む一回性。毎年同じ桜を咲かせるけれどもどれも同じではない。咲いていないときにも静かに鼓動をうつ。

本田美奈子さんや桜の木、それぞれの他者が存在しているから私がある。それが体感できたから思いかけず涙がこぼれたのだろう。いつ同じ立場になるかわからないゆらぎと、そうでない今を他者から与えてもらえた喜びが交錯する。

だから今を粛々とすごす。