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[Review]: やわらか脳

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やわらか脳―茂木健一郎「クオリア日記」

有限の語彙を駆使して無限を表現する極致がしたためられている。

本書『やわらか脳』は、私が1999年十一月十二日以来インターネット上で公開している「茂木健一郎 クオリア日記」の二〇〇四年、二〇〇五年の二年分を編集、加筆して一冊にまとめたものである。 インターネットで日記を書こうと思い立った時のことは、はっきりと覚えている。歩いてそうだ、と思いついて、すぐに実行した。初日のアクセスは、約百名だった。まだブログというものが世の中に存在しない頃で、掲示板を使って毎日書いた。ブログに移行したのは二〇〇四年九月二十八日。この間、雨の日も風の日も、日本にいる日も外国にいる日も、ほぼ毎日欠かさずに書いてきた。『やわらか脳―茂木健一郎「クオリア日記」』

茂木健一郎先生のクオリア日記を拝読している。毎度、その「表現」に嘆美の声を発する。

私が何かを認識するとき、独りでできる。当たり前の話、事実がどうあろうが、認識したという事実を私が知覚すればよい。自己完結であり、独りで考えられる。独りよがりであろうが、何であろうが、独りで考えるというのはそういうものだと思う。あとは、その独りで考える<私>を徹頭徹尾疑い探求できるかどうかだけだ。

しかし、表現は違う。そこには「他者」がいる。この「他者」が私にとっては厄介。困難きわまりない。まったくわからない。

たとえば、まさに<他者>がそうだ。他者にとって<他者>とは何であるのかわからずまま、他者を想定して<他者>を表現する。そうやって一つ一つの単語を吟味すれば、自分の語彙が赤貧洗うが如しに気づく。三十半ばになってみっともない体たらくであるけれども事実は事実。しかたがない。「本質」とは一体何か、「常識」とは何か、「知性」はと延々愚考がつづく。

先生の日記は、己の愚考に一筋の光をあててくれる。本書の中身は「日常」である。では「日常」とは一体何か?

先生は毎日の情景や人物、はては万物にいたるまで考察している。私から宇宙まで意識を放出し、また私へと帰来する。放出してから帰来するまで距離と時間と空間が膨大で、その途中紡ぎ出される言葉は、私の脳内に疑似体験を表出させる。

科学と文学を融合したような文体がそれら疑似体験をリアルにぐっとひきよせる。ひきよせられるとき、古典や小林秀雄の知性が挿入されると、「表現」の無限を体感する。

八百屋のおじさんと会話しながらリンゴを買うとき、消費するためだけならおじさんはいらない。

違う。他者は絶対に消費され尽くされない。原理的に不可視な部分を持っている。そこから何を想像するかによって、私がみつめる世界はかわる。先生は変わり方を教えてくれるわけないけど、「変わる前」と「変わった後」を赤裸々に語っている。そこに自分を投影しても何も変わらない。それよりも、まず自分が「外」へ踏み出すこと。それがわかった。

ちなみに私が好んで何度も読み返したのは以下の省。

  • 第一章 人生を思索する
  • 第五章 「脳問題」を語る”脳”
  • 第六章 スカな時代に悩む
  • 第七章 “脳”はなぜ怒るのか
  • 第十一章 街の八百屋さんで世の味わいをみつける
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