プライベートエリア

どうやらわたしはプライベートエリアが広いようだ。だから、そのエリアに入ってこられる方々に身構えてしまう。仕事になるとさらに広い。思い当たる節がある。

社会人になって3年目だったか、ある歯科医院のお客様と懇意な間柄になった。仕事が終わると、美食をご馳走になり、仕事の相談にとどまらずプラべートにまで話がおよぶこともしばしば。はては、医療法人になったら監査役に就任してほしいと依頼され、私の言動を褒め称えていただいた。

いまから考えると、世間知らずというか、図に乗っていた私がいた。こんなにも胸襟を開いてくれるお客様がいるのかと驚き、同時に魅せられた。どんどんお客様にのめりこんだ。

そんな矢先、契約解除の通知を電話で受けた。理由を求めても要領を得ず、結局、なにもわからぬままに関係はおわった。不思議と怒りはなかったと今でもいえる。

あれ以来、信用と信頼を考え直した。「信用する/しない、信頼する/しない」を二項対立的にとらえるのではなく、信用と信頼を己の埒外に置いた。自分がコントロールできない怪物に踏み込むのはやめようと誓い、じぶんは何をふるまえるかだけを考える。

その結果、お客さまによっては、ずいぶんよそよそしいと受け止められているかもしれない。それはいなめない。ただそれを修正する「仕方」を学ぼうとしないじぶんがいる。正直、こわい。「よそよそしい」と「しっくり」の距離をはかれない。トラウマか。

それはそれで仕方がない。それもふくめて「じぶん」だと受け止めている。かといってそんなじぶんを説明したり弁解しない。説明したり弁解しはじめると、「わかる・わからない」が襲いかかり、いつのまにか、「わかろうとする」じぶんが顔をのぞかせる。

そうなると、とにかくじぶんができることを淡々と粛々とこなしていく、それができなくなる。

他者はわからない絶望と他者をわかろうとする希望のすきまにあるわずかな糸をたぐりよせたい。けどそれがなんなのか見当もつかず、何かにおびえている。

プラべートエリアが広いにもかかわらず、しばらくお会いしていないお客さまが脳裏によぎると寂しいと落ち込む。他方、毎月お会いしていただけるお客さまに、「なぜ、会っていただけるのか」と自問しつづけ、来月はお目にかかれない恐怖におびえる。

そんなもんかな日常は。いつか莫妄想を掴みたいわけで。