diary

人が制度を構築して機械が運用する社会

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リバタリアニズムの政策には政府の銃規制を否定する一方、警察権を民間に委託すればいいと訴える人もいる。私はそのあたりまで踏み込んで自分の基準を確定させずにいまだ揺れ動いている。ただ、今回の不条理に対応する警察に首をかしげた。

近所の会社役員の男性(67)は、銃を持って自宅周辺を歩き回る姿を見たことがある。「ニュースを見て、あの男じゃないかと思った」。以前、交番に「危ないんじゃないか」と訴えたが、警察官からは「他人がとやかく言うことではない」と言われたという。

via:佐世保銃乱射の馬込容疑者、周囲は「変わった男」の印象

最初の記事と差し替えられている。「他人がとやかく言うことではない」と言われたと書いてあるが、たしか訂正前は、”気色ばまれた”みたいなニュアンスを書いていた。

要は、会社役員の男性の印象にすぎないから客観的な事実に差し替えたのだろう。記憶は歪められるから警察官のニュアンスは知りえない。それにしてもいかがなものか。隣人が銃を持っている。その人がどうも様子がおかしい。だから警察に相談した。そしたら、「他人がとやかく言うことではない」と言う。

そしたら事件は起きた。警察は、自分たちに落ち度はなかったと全力で否定するだろうし、銃を許可した公安委員会も右へ倣え。

猟銃・空気銃の所持については、申請を受けた警察署の生活安全部門が審査し、都道府県の公安委員会が許可する。

via:佐世保の容疑者に銃所持許可 警察審査で訴訟の例も

今年の漢字は”偽”。「いま何かがおかしい」と街を行き交う人々は口にする。でも、その”何か”がわからない。漠然としている。”何か”を吟味するゆったりとした時がない。だから不安と不信だけが蔓延する。不安と不信は社会コストの増大を招く。近い例でいえば改正建築基準法か。

市民を守ってくれるのは警察。その警察は守るはずの拳銃で女性を射殺して自殺した。もう誰も守ってくれない、と口にはしないけど、また”何か”が壊れたように感じさせる”何か”を与えたような警察のふるまい。

銃を許可するには幾十もの審査をパスして許可するから問題ない。建築基準法は厳格な審査をパスするから問題なし。共通するのは制度を構築すればあとは問題ないという思考。「制度」を信用して「運用」に興味なし。

「危ないんじゃないか」という感性をもった人が「運用」にコミットメントしたのに、「制度」で動く機械は無視した。「他人がとやかく言うことではない」とフィルタリングしてスパム扱いに。

ならばほんとうの機械にまかせればいいだろう。

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近隣の会社役員(67)は「銃を持って裏山をうろうろしていた。『銃を持たせていいのか』と交番に苦情を言ったが、請け合ってもらえなかった」と打ち明ける。「(馬込容疑者から)『あんたが悪口を言うから就職できない』と言われたこともあり、被害妄想の塊のようだった。自宅の離れにこもり、金遣いが荒く、熱心なカトリック信者のお母さんも悩んでいたようだ」と話した。

via: 佐世保発砲:「なぜか銃を所持」不審がっていた住民

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