死刑の瞬間をラジオで

関西在住だと聴けない。でも、できれば何かのかたちで放送してほしい。

文化放送は5月6日の報道特別番組「死刑執行(仮題)」の中で、死刑執行の瞬間を収めた1955年ごろの録音テープを放送する。裁判員制度開始を来年に控え、鳩山法相が死刑を巡って踏み込んだ発言をしたり、先日も4人の死刑が執行されたりする中、極刑の実情を知ってもらうのが狙いという。放送は午前10時から55分間で、関東の1都6県で聴ける。

[…]広報担当者は「演出や感想を交えることなく、事実を淡々と伝えることを心がける。死刑制度の存続や廃止を訴えるのではなく、現状を伝え、リスナーに考えていただくことが目的」と話す。

via: asahi.com:50年前の死刑執行の瞬間をラジオ放送 関東で5月6日 – 社会

菊田幸一・明治大名誉教授(犯罪学)は賛成していない。理由は、

録音に死刑囚の肉声もあるそうだが、おとなしく死を待つ死刑囚が選ばれたはずで、死刑が粛々と執行された印象を与えかねない。死刑執行の実態はもっと残虐なもので、中立的な死刑執行の報道とは思えない。こういうものを公にすることには賛成できない。

via: asahi.com:50年前の死刑執行の瞬間をラジオ放送 関東で5月6日 – 社会

「中立的な死刑執行の報道」なんて机上の空論だと思う。できるのは「事実を淡々と伝えること」だけ。たとえ、座して死を受け入れようとしている死刑囚であったとしても、「死刑」の事実に耳を傾ける。死刑制度は賛成と反対だけでなく、存置もある。そこに中立を持ち込むのは「論文」でいい。死刑は感情的にさせる。被害者と加害者双方の「死」というタブーに真正面から受け止めようとするから。思う存分感情的になればいい。「死刑は残虐」という言葉がナンセンス。「死刑執行」それ自体に残虐も粛々もない。私たちは自分たちで手をくださず、国に任せているようで、実は、「現場の人」がいる。

「現場」にまかせた私の責任は「現場の音」に耳を傾けてはじまる。