diary

衒学

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2009.08.08 晴れ

06:58起床。頭は夏季休暇モードに突入したみたい。だめだな。朝からぴーかん。暑い。ものすごい暑い。家の中がサウナのよう。青紫蘇がぐんぐんのびる。今年の青紫蘇はあまり喰われない。虫がすくないのか、天候の影響か。

暑い家の中で終日読書。『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』 麻耶 雄嵩 を読了。衒学的か哲学か。文体と表現が決定する。意味は捨象される。衒学的は裏を返せば読者の嫉妬かもしれない。自分の知識が通用しない領域へ突入する物語への拒絶反応。娯楽なのに苦痛を伴う疑問。疑問は自責から他責へシフト。怒り、蔑み、嘲り。メタフィクションを好むので自分には合っていたと思う。ただし、誰の視点か定まらない表現は混乱へ陥れた。それが読みにくかった一因。

夜、『クライマーズ・ハイ』 横山 秀夫 を視聴。原作 と少し異なっていた。原作は少し冗長的な印象を受けた。映画はその部分をばっさりカットしてあった。新聞社の中の人は、全く異なる印象を抱くだろう。映画の新聞社へ異論を抱く現実の新聞社。映画の新聞社へ現実を投影する一般人。映画の雰囲気が現実の新聞社と近いとするなら、言論の世界は異様なんだなぁと思った。建前の封建制度と本音の民主主義。あそこの人たちは上司ー部下の中に建前と本音を持っている。アンビバレントな関係がもたらすあそこの人たちの感覚は一般人と異なる。「作る」と「売る」が分業された異常なビジネスモデルは、スクリーンのなかで象牙の塔を築いていた。一次情報のプライドが壊されない限り、スクリーンの人たちはさらに強固な象牙の塔を築くのだろう。

何かを書くとき、型があれば、効率がよくなり安定する。書くための型は、いつしか思考へ適用され、型どおりの思考がもたらす行動は単一化する。

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