diary

逆縁

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2009.09.02 晴れ

06:02起床。朝から15:00ごろまで過ごしやすかった。その後、蒸し暑くなった。外へ出ると、ほどよい風が吹いて涼しかったので、自宅の中の温度が外と逆転したのだろう。熱気を建物が吸収してしまったかのよう。芋虫に食べられたサンパチェイスの葉が再生してきた。生きている、と実感。毎日、毎日同じ植物を眺め、変化に気づいているか自分へ試問する。

朝一番にO先生のメールへ返信したあと、連絡あり。切れ味するどい視点にきりきり舞い。必死で返答する。事案がまとまりページ作成の素案が固まる。あとは、S社のアクセスリポートを作成。日常業務で調べるアクセスログと違い、リポートを書く視点で分析すると異なった意見を発見できた。

F先生の論文を熟読。じっくり時間をかけて読んだ。

夕方、おばの宅へ電話。少し話す。前回、いつ話をしたのか記憶が定かでない。たぶん30代前半に話しているはずだけど。逆縁の話を伺う。同じ高校を出ているので、なんだか言葉にできない近似値を感じる。おばの反応は自分の身近にいる人とまったく異なるようだ。不思議。10年に一度話すかといった時間が関係しているのかもしれない。

夕方、イオンヘ。さんまに半額のシール。すでに開いてある状態なので冷凍保存できるから購入。水曜日は閑散としている。野菜市の火曜日とは対照的。水曜日の野菜の入荷は芳しくないけど、トータルの買い物を考えると火曜日でなくてもよい。でも、緻密な買い物計画を立てる人は、火曜市の野菜だけ買うだろう。

死は謎だ。全体は死の解を持っていない。宗教は死の存在を個へ認識させ意味を説明する。存在と意味は解ではない。死の正解を導き出すのは科学か哲学か。知らない。どうして死を考えるか。無を考えるか。死と無を考え続けることが生と有の約束を実感させるからではないか。しかし、死と無を本気で考えているなら、データの蓄積は愚かな行為だと理解できるはずだ。なのに、自分のデジタル・アナログの中には膨大なデータが蓄積されていき、それらが空間を圧迫する。将来の生と有が約束される錯覚が、時間を消費し空間を圧迫する行為をもたらす。その約束から解き放たれたいから自分は死と無を考えたいと欲望し、本気で考えられない自分へ失望する。欲望と失望への耐性。耐性がもたらす一瞬の実感。

昼食はなし。夕食はカレ。ホワイトカレがとてもおいしかった。夜は 『λに歯がない』(講談社ノベルス) を読み終え、『ηなのに夢のよう』(講談社ノベルス) を読み始める。対偶。自殺から生を考察。ファンは賛否。賛否をもたらす発想は素敵。

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