diary

引継

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2009.11.15 曇り

08:00すぎに目が覚める。寝坊。躰が疲れていたみたい。腰の痛みが増してきた。歩いている時も痛い。いよいよ診察してもらうか。午前中、部屋と風呂を掃除。平日の掃除は夕方にしている。日曜日は午前中が多い。面白いリズム。

午後からF先生のLANや各クライアントのページを整理整頓。一度にまとめてできないから少しずつ。LANは構成図を書いてIPアドレスや用途を記入していく。誰が引き継いでもこの構成図を見たら全体像が把握できるように書く。どのクライアントのLANを設定する時も個別の事情を勘案する。ただし、特別仕様を採用しないよう考える。汎用性の高い構成だから、誰が引き継いでも戸惑わないはず。

LANの設計と同じくページ作りにも適応できなければならない。ところがコーディングはそうならない可能性が高い。癖がある。自分は癖を理解しているからよいけれど、第三者が読んだとき理解できない。その運用はまずい。

引継は引継が決まってからでは遅い。成長期は次に訪れる低迷期の準備期間だと思う。よって、成長期は低迷期に備えた次の手を考えて打ち始めなければならない。同じく、引継も廃業が決まってからでは遅い、と気づいた。今から始めてよいくらいだ。

経理を今より効率化できないかと仕訳帳を眺める。預金出納帳の運用は満足。問題は現金出納帳。もう少し記述を減らしたい。理想は現金の動きが0に近づくこと。現金購入を調べる。利用頻度の高いお店の支払方法をネットで検索。EdyとiDが使える。なので、現金を携帯に移行。手続きを検索。今まで携帯が対応していなかったのでできなかった。ようやく手をつけられる。

先日、目的や目標という発想を力説したくない と書いた。感情的な言い訳と前置きして書くと、ビジネスシーンでこの単語を使えば、解法が与えられたと受け止められる。ところが問題は何一つ解決されていない。にもかかわらず、「目的は?」「目標は?」の問いかけが、「私はあなたより次数の高い視座に立っている」とあたかも錯覚を抱かせる雰囲気が漂う。何だろう、あれは?

自分を分析すると、それらを使う人への嫉妬と苛立ち。現在の自分は、かつて何気なく使ってきた簡単な単語や熟語を使わないよう制限している。なぜなら簡単な単語や成句を使うとわかったような気がするのでそれを回避したいからだ。根本や本質とか。原因と結果とか。そういった言葉を制限すると、自分の語彙力は貧しいと驚く。そして自分の無知を嘆く。その反動が他者を攻撃している、と自己分析。怒りは重大な危険を自分へ与える。判断を鈍らせる。さらなる自制。

夜、野菜のしゃぶしゃぶを食べた。今年の鍋のヒット作。野菜の歯ごたえがよい。食感とうま味。出汁を工夫すればもっとおいしく食べられるかも。今でも充分だけど。

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