diary

僻事

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2009.12.10 曇のち雨

予報では雨だったのに、朝、ほんの少しだけ晴れ間が出たので驚いた。春先に植えた花がまだ残っている。数個だけ(単位がわからない)。なので草も枯れない。越年するかどうかも調べていないので、このままどうなるか観察している。

終日、O先生のサイト。トップページと下層ページを仕上げられた。次は各テーマのページコンセプトを打ち合わせ。それからテキストと図、写真を挿入。最近の歯科医院のサイトから少し距離をとる感じになりそうだ。デメリットは検索のヒット。デメリットを修正できる手段を探さなければならない。全体の進捗率10%程度。設計と打ち合わせに時間を費やしている。いつ頃、制作の段階へ移行できるだろうか。

当事者が不利益を被る行為に対して、当事者は反対、あるいは反論する。当然だと思う。存続させなければならないから学部を廃止する。対象となった学部の関係者は抗議する。必要性が薄いからと補助金を廃止、減額される。団体の関係者は会見で批判する。反発が起こる。当事者が必要性を説く行為を一つ一つ積み重ねると、膨大な金額が算出された。ひょっとすると、誰も把握していないのではないだろうかと疑ってしまうような金額である。

そんな現象を見聞してひとつの疑問が浮かぶ。どうして、いちばん無駄である集団を縮小させないのだろうと。当事者の方々が述べる内容を関係者以外の人が聴くと、多少の脚色はあってもおおむね事実なのだろう。かたやそれらの事実を査定する側は、事実と認定しない。事実と認定してしまうと廃止できない。だから査定する側は当事者が述べる事実を僻事であると想定する。想定に合致する論理を収集し、結論へはめ込む。結論へ誘導するために丁寧かつ些末な事にこだわって反論する。そのやりとりは公開された。公開は免罪符であるから決断できる。

公開によって、事実を認識する行為は難しいと確認できた。だとしたら、自分にとっての事実を述べると、人口が減り、各集団がダウンサイジングする。ダウンサイジングに対して査定する側はどのように対応するだろう。ダウンサイジングに同意する比率は少ない、と観察している。自分の事実の前提である、人口の減少が僻事なのだろう。もし、同意の比率が高ければ、比較の好きな習性であるから、議員定数を比較しているはず。制度や統治を勘案せずに比較する算数は僻事だ。ただし、算出された数字の結果、削減に踏み切る自治体が増えてくるかもと自分は楽観してる。

夜は白菜と豚肉を鍋で蒸した。はじめてカボチャを入れた。これが驚くほど美味しかった。

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