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諤諤

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2010.02.10 雨

春の雨といった感じ。全国の気温を一覧で眺めると、身の回りと異なる日本の表情を伺える。20℃を超える地域があれば、-34℃を記録する地域もある。生活の様式はまったく違うし、文化も異なる。継承されてきた行事も違う。古来、気候は祭事へ影響を与えただろう。

終日、データベース制作。データベースとは何か、概念やファイルシステム、DBMSなどの参考書を読み、全体を理解しようとしたと思う。今回は違う。まずは制作してみることにした。無謀であるけれど、とにかくまずやってみる。書籍を片手に見よう見まねでFileMakerを動かす。書籍のとおり動作すると嬉しい。そして少しアレンジすると失敗する。なぜだろう、と考える。その繰り返し。やっぱり自分はマップラバーになれないなぁ。マップヘイターか。

F先生とメールでいくつかやりとり。諤諤か。自分は頑固だし、議論の最中、敬意と感情を切り分けてしまうので、不躾な文章を書いていると後で反省する。侃々諤々の議論とは、様態を表現した便利な単語であるけれど、実態は感情の影響を受ける。感情や遠慮を分離させ、議論の中心に敬意だけを置き、互いの意見を述べ、そこから第三の視点へ昇華させ、新たな知性を得る、という行為は理想にすぎない。でも、その理想をあきらめたくない、と常に考え、チャレンジする。試行錯誤から感情と礼節の意味を発見するようにもなった。そして、その発見をまた疑う。

休憩をかねて近くの本屋へ。 『子供の科学 2010年 03月』 を買う。当初買う予定だった、文庫5冊は置いてなかった。どれも02/09, 02/10の販売。『アイディアのレッスン』 が20冊以上山積みされていた。みんなこの本を買うのだろか。売れなければ返品すればよいのだろう。悪い意味ではない。ネットから書籍を買えるようになったのだから、大手書店の一販売所であっても、現場が仕入を判断したほうがよいと思う。地域や立地によって購買は異なるはず。この本屋の売り場も文庫以外のラインナップはユニークだ。売り場をつくっている。どうして文庫は、上からの押し売りみたいに販売しているのだろう。

生命が機能パーツの集合体に見えるのは、部品還元論的な見立てをすることによって、そう見えるだけのことであって、その成り立ちからモジュラー組み立て方式によって作り上げられたものではない(『もう牛を食べても安心か』)、と福岡先生は主張している。一人の人間が描写する全体の範囲はどこまでだろう。全体と部分、という腑分けが間違っているのか。組織を生命体と置き換えて考える、その比喩と前提がおかしいのかもしれない。それでも、組織を外部から観察したとき、全体と部分と腑分けしたくなる。全体の概念があるから部分という思考が発生する。一人一人が役割を果たしていても、全体は役割を十全に果たしていると満足しない。当然である。もし、満足してしまえば、組織の成長は止まる。成長というより、持続可能性が低下する。このあたりに、組織と生命体の差異のとっかかりを見つけられるかもしれない。チャレンジしてみよう。

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