僻説

2010.03.15 曇り

脹脛と太腿の痛みは続く。両足がO脚で膝を曲げて歩く。へんな歩き方と自覚しているのに躰が勝手にその姿勢をとる。

Amazonから『FileMaker データベース開発テクニック 改訂版 Pro 10 Advanced & Server 10 Advancedの最新活用術』 木下 雄一朗 が届いた。手元にある『FileMaker Pro10一目瞭然』 西村 勇亮 と、F先生からお借りしている『開業医のためのFileMaker Pro実践活用術』 鷲沢 直也 をあわせて3冊。これらを03/20-22の合宿へ持って行く。合宿ではファシリテーションしながらDB制作する予定。どんな合宿になるか。タイムテーブルを用意していない。毎日、頭の中で数パターンをシミュレーションする。スタッフの方々の自律分散的な行動を観察したい。

テレビのコンセントが抜かれて生活が変わったかというとどうも変わっていない。ネットの恩恵だろう。あえて変わったといえば、ニュースを映像で視る機会がなくなったので文字情報から映像を想像しなければならなくなった。テレビのニュースは音声と映像を同時に伝える。ネットのニュースはほとんどが文字情報なので、書いてある事柄を映像へ転換しなければならない。事柄の現象を把握する手順が増えた程度か。新聞を読むのと大差ない。

ニュースは不思議だ。社会面と政治面を削れば、理解したい記事の大半は、その記事からでは理解できない。書いている本人が理解していないからと推測している。極端な思考を展開してニュースを読むと、ニュースを読む行為自体が生活の余分であるように思える。必須科目ではないと確認。

自分のライフスタイルの中心にあるメディアの優先順位は第一がネットで、第二がラジオ。第三が書籍。最近、ラジオとTwitterの相性が良いように感じる。ラジオのDJのつぶやきがプログラムとリンクしていておもしろい。東急ハンズの完売御礼の気持ちを理解できるような。上島珈琲店なうの見事な炎上鎮火にも納得。鳩山首相をフォローしたら数週間後にフォローしましたなんてメールがポストされて驚くし。

ヒトを二分すると、与える側と与えられる側に分けられる。Twitterでも同じで、自分のように与えられる側もいれば、数千・数万単位でフォローされる人がいる。与える側の人たちだ。与える側は表現する内容を持っている。また表現する内容を獲得すべく行動する。与える側の人はどのような器(TwitterやBlogやYouTube…..etc)を与えられても表現できる。

他方、自分は与えられる側なのに与える側の器を手に入れてしまったばっかりに、その器の使いこなし方に苦労して、内容を表現していない。善悪優劣の判定ではない。たぶん視点の差異だろう。それと演技力。