diary

扼腕

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2010.03.17 晴れ

左足脹脛の嫌みもほぼなくなる。朝、支障なく起きられた。安堵。ひょこひょこ歩かなくてよくなったのでうれしい。洗濯物を干して光の当たり具合を観察していると、太陽高度が高くなったと実感できる。

午前中、M先生のサーバへアクセスして整理。ちょっとずつ進めてきた作業も明日で終わりそう。今回の作業はとても勉強になった。時間の変遷。記録。記録は成長の源泉だと思う。記録は過去の自分と出会う。別人の自分。過去と現在の差異を吟味する土台が記録だと思う。記録は記憶でもよい。ただ、記憶を自在に引き出せる能力を備えていなければならないので、自分はその才能を持ち合わせていないから記憶だけだと差異に気づけない可能性を残す。記録する。

午後からDB制作。デジタルカメラから画像をインポートしてそれを画像データベースへ格納して、画像をフォルダ別に保存して、最後はインポートした画像を消去する、この一連の流れをFileMakerのスクリプトで自動化できる。ああ、そうかこういったアイデアを考えるのか。MacならAutomatorで作成できるかもしれない。この画像データベースとPHPを組み合わせて院内LAN用のCMSを制作できるなぁと想像したり。楽しい。

『TRUCK & TROLL』 森博嗣 を読み終える。先生の著作を読み続けてきた。内容がだんだんかみ砕かれてきたような印象。わかるとは異なった感覚。言葉で説明しにくい理解の行程を経て納得していると自己評価。文章を読むと、そうなんだよと頷く。その回数が増えたということ。つまり、読者が読みやすいように先生がかなり加工しているのかなぁと思う。そこが物足りない、否、悔しい気分。文章を理解?!しても、それは単語と単語の接続を読んだだけだと思う。それよりも、文章を書くきっかけになった視点を自分はどうしてひらめかなかったのかと気づかされる点が大切だと考える。その気づきが少なくなった。ああ、たぶんこの展開だろうなぁと予測できるあたりが嫌。でも、『自由をつくる自在に生きる』 森 博嗣 や日記やエッセイを読んで先生の凄みを何度も痛感。それは引用がないこと。これは凄みより背筋が寒くなる。自分の言葉で考え自分の言葉を出力する力量。

夜、差別と区別と道理を調べる。全体の中にいる全員を満足させるのは不可能だ。効果の高低と優先順位を検討した上で時間軸の長短を加味して選択しなければならない。すると、選択されなかった方へ焦点を当てられる。世間の耳目を集め、関心が高まる。関心が高まれば、広告を集めやすくなるので、報道の価値が再考される(と思う)。

選択されなかった方へ焦点が当たる機会は増えたと思う。あれもこれも選ばれない。差別されている。あっちは採用されてこっちが採用されないなんておかしい。それらエネルギーを伝える。

そして、それらの活動の中から一つでも選択されたら? 報道が支援したと受け止められる。選択されなかった方と報道はますます強く結ばれる。

その結果、安心してぶら下がられるようにしてほしい、と願い、でも、代償を支払い約束を果たすことは拒否し、管理と監視も拒絶する、で、苦情が跋扈できるシステムになったなぁと思う。

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