diary

接近

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2010.03.19 晴れ

朝、起きて日が昇り始めた頃、目が少しかゆくなってきた。昨日も同じ症状だった。花粉症の一つかも。鼻づまりや涙目はない。佐知’s Pocket のスコーンを一つ食べた。美味しかった。豆乳の生地でトマト&バジル。1個128円。すごく贅沢な朝食。

午前中、F社のページ制作。制作までいかないかな。導線の設計と表現や図の見直し。直帰率を減らして問い合わせを増やす方法を考える。午後からS社のページを制作。その後、サーバのメンテ。残りは合宿の準備。

夜、単語へ接近する仕方を考える。たとえば、命と生命。両者を同義で使う人は少ないと思う。では、聞く人は意味をどう受け止めるのだろう。すごく興味がある。前者を文学的に心象する人や形而上学や倫理の方面から接近する人がいると思う。あるいは、身近な存在と関連させて具体的な事例を求める人もいるだろう。範囲を定めるとしたら、ヒトを基準にして意味を考える。その確率が高いと思う。

後者は? 生命と聞いた時、科学から接近する人はいる。宗教とか。抽象的な心象を持つ人もいるはずだ。範囲を定めるならヒト以外の生物も基準に入る。生命の誕生、なんて聞けば、赤ちゃんを思い浮かべる人や細胞を脳裏に描く人がいる。また、前後の文脈によって接近の仕方はころころ変わる。

相手が何かを伝えたり、説明する時、その人が使う単語とつなぎ合わせた文章は、どこから接近して製造されたかなんて検討しながら聴けるだろうか。自分には難しい。極端をイメージすると、理系の知識を持っていない自分と科学に精通した人が会話するとき、一つ一つの単語の意味を辞書のように解釈してやりとりしたら会話は成立しても通信の送受信は成立しないだろうなぁと想像する。

そんな風に思い巡らすと、コミュニケーションは成立する確率は極めて低く、むしろ成立したら珍しい現象であると感じる。実際、会話の様子を録音して、後から文章にしようとすると、どうしてこの単語のやりとりで理解できたのか不思議でしょうがいない。自分のしゃべっている内容を後から聞いて愕然としたり。一体、何をしゃべってるんかさっぱりわからない。だから、自分が混乱した箇所で質問が出ていなかったら、相手は何を理解したのかで頭が埋め尽くされる。

単語に接近する仕方。周りの人は単語に対してどの方角からどの角度で侵入するのだろう。

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