diary

合宿

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2010.03.20 – 22 晴れ雨曇り 黄砂

03/19 05:54の列車に乗って大阪へ。土曜日の06:00すぎの電車が満員だったので驚いた。みなさんどこへ行くのだろう。07:20頃長居に到着。近くのファストフードで朝食。集合の09:00までゆったりすごす。学生たちが公園へ続々と入っていく。

09:00長居ユースホステル到着。合宿開始。初日21:00終了。F先生とK先生と近くの銭湯へ行き、帰りに一杯ひっかけて宿舎へ戻る。銭湯を出たのが22:10頃。門限は23:00。

03/21合宿2日目。09:00開始。19:00すぎに終了。全員で食事へ。

03:22合宿3日目。09:00開始。12:00終了。昼食で打ち上げ。

自分の進行は拙かったので、F先生をはじめ全員へ戸惑いを与えた。そんな環境下、F歯科医院のワークはすばらしかった。感激した。「みんなが当たり前と感じて共有した概念や行動が、実は共通の認識ではなかった」点を浮き彫りにするプロセスを垣間見られて静かに興奮した。

目の前に1本のペットボトルがある。全員が360度から眺めて、1本のペットボトルと認識しているはずだ。でも、現実は違う。裏側を見えていなかった。役割によって見え方が異なるから。現場の役割と個人の感じ方は見える方向と角度へ影響を与える。ラベルの商品名を読んでいる人、成分分析表を見ている人、それぞれ。みんな、ラベルも成分分析表もすべて見えていると思っていた。それが違った。

「当たり前を徹底的に疑い、他者の認識を問い続ける」という認識に立ったとき、視点と着眼は劇的に変わる。視点と着眼が変わると、表現は洗練される。50や100の言葉を紡ぎ、それから削り落とす。言葉を出力する作業は過酷だけど、削り落とす思考は苦痛。言葉を継ぎ足すよりはるかに厳しい。

教科書に載っていないことを実践する。先人がいない領域を選ぶ。誰も教えてくれない。正解はない。禅と日本文化 の書評で書いたように、「”分別”それ自体が分別」であり、不立文字の実践である。自分たちの医療を名付けたり分類したりできないし、知ることもできない。ましてや、自分たちの医療の到着地を訊ねて教えてくれる人はいない。用意された意味はない。すべては現場にある。

自分は一人なのでF歯科医院のような仲間はいない。今回の合宿でその事実を観察して再確認した。羨ましい気持ちと自分は自分という冷静な気持ちが両立していたことを発見できた。それがとても嬉しかった。また変化した自分を認識できた。

拙い進行なのにそれらに不満を表示せず、事前に表明していた水準までほぼ達成したことに感謝します。そして、自分の中で一つの区切りができたと思います。ほんとうにありがとうございます。

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