diary

相違

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2010.04.012 雨

今日の雨は桜の花を枝から落とし、来年へ備えるよう促しそうだ。脳内にある桜と天候の記憶をクロス検索すると、満開の桜の前後。雨が降りやや強めの風が吹いている、との結果。正しい記憶より模造の確率が高いけれど、記憶はそのように焼き付けられている。

終日、アルバイト。淡々と作業をこなす。時計の長針の一周がはやい。数字の背景にある物語を想像する。30万円の利益に税率が40%だとしたら、12万円の税金を納付する。それでも手元に18万円に残る。これは、もっとも単純化されたモデルであって、現実は簡単ではない。現金と利益は一致しない。だから、節税と称して30万円使う。手元の資金はゼロ。資金は枯渇。次は借入。返済は利益を生み、キャッシュは流出。そして、またお金と利益は乖離(感覚として)。利益はあるのに現金がない。もっとも単純化された「ある」と「ない」のモデル。でも、このモデルを自分はうまく説明できない。理屈を説明できても、感情を説得できない。

『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上)』 スティーブン・ピンカー [to Amazon], 『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中)』 スティーブン・ピンカー [to Amazon], 『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下)』 スティーブン・ピンカー [to Amazon] を購入。ピンカー教授の本は 『言語を生みだす本能〈上〉』 スティーブン ピンカー [to Amazon], 『言語を生みだす本能〈下〉』 スティーブン ピンカー [to Amazon] 以来。『ドーキンス VS グールド』 キム・ステルレルニー [to Amazon] への興味。どちらかの論陣へ加勢できるほど理解していない。そもそも相違を学問的に理解できていない。まだ、単なる情報をダウンロードしているにすぎない。いくら情報を脳内ハードディスクへダウンロードしても、それを知識へ加工して体系化の行程を経て学問へ発展できなければ無意味だと承知。なのに、読んでしまう衝動。

米国のドラマを鑑賞していると、二つの事柄を知りたがる自分に気づく。相違と文化。比較したい時、対象の基準を設定して。理路を発見、仕方を習得してようやく二つの対象を比べられるのに、何を比較して相違を知りたがるのか、自分が不思議だ。

文化を知りたがるのは納得できる。米国のドラマのプロットはしばし戸惑わせる。米国の文化や風習、宗教観が伏流しているから。理解したくても、理解のスタートラインに立てない。最近では、『クリミナル・マインド シーズン1 』[to Amazon] の第14話「死刑へのカウントダウン」がそうだった。死刑制度, 政治, 宗教, 心理, 文化など、幾層もの価値が織り込まれたプロット。プロットをそのまま受け入れて咀嚼したい。自分の知識を活用したい衝動欲求は、それを拒絶する。もどかしい。

相違と直面したとき、批評を与えず、目の前の現象を素直に受け入れて吟味する。相手へ敬意を払い、自分の矜持を表現して、相違を伝える。知識は、素直という1本の木を削り落とすために発明された道具だと思う。

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