再読

2010.05.07 小雨のち曇

近頃、紀伊国屋や旭屋を徘徊すると、”ゼロ年代”のキャッチが目に闖入してきなはる。SFとか。で、絶賛発売中が朝日新聞ゼロ年代の50冊第1位 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 ジャレド ダイアモンド, 『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 ジャレド ダイアモンド 。たいてい平積み状態。2006/07/24に購入、あらすじを覚えている、けど、細部を思い出せないので書架から出してパラパラ。なるほど、ネットで”神本”とか”スゴ本”やら称賛されるのも納得。科学的仮説として扱われていないかもしれないけれど、問題設定がユニーク。人類の格差を氷河期から現代までまとあげた。ジャレドの仮説を理解できたら、これから人類の格差問題を述べるとき、人間集団間の生物学的な違いはまったく関係ないと堂々としゃべられるかも(笑) とにかくすごい本、あらためて。

F社のページ制作。ページ設計を終了。コードを書いてテキストを落として、あとは図の作成。イメージが固まったのでマウスはサクサク。課題はSEOとサイトからのアクションを増やすこと。サイト制作のレイヤーはマネジメントと同じく、戦略・戦術・戦闘に分類できて、戦闘のフェーズに突入すると、技巧の要素が強く求められる。それがやっかい。

17:00前に出発。19:00からM先生のミーティングに参加。読書会の課題本は 『思考の整理学』 外山 滋比古 。自分が選んだ。理由はもう一度読んでみたかったから。これも再読。久しぶりに読んで、かつて折り曲げた頁の意図をモノローグ。

読書会のコメントをワクワクする自分と酷だろなって予感した自分が同居しちゃっていて、メランコリア率がちょい高めで出席。予感はおおむね的中、でも、関心はない。「わからない」を対話できる場でない空間では、読書の「わかる」「わからない」は些末な事であって、自他の視点の差異と無知、そして、「問題設定能力と気づき」をテーブルの上に置けたら自己満足。どうしてこの本を選んだのかを伝える、読み方を説明する、気づきを解説する、なんて野暮。そんな慇懃無礼な応対はしたくない。探求と内省の欲望はスイッチがオンして回路が起動しないと、続かない。自他の視点の差異をみんなで掬い取りたい。再読して修辞と比喩は別物だと再確認。

20:30終了。大阪駅で途中下車してウィスキーをロック3杯ひっかけて帰宅。ご満悦。時間は速くて遅く遅くて速いよ相対性。お酒をやめたいのにウィスキーなんて覚えてしまってやっかいだのう。美味い。度数が高い焼酎を少しずつ呑まないようにして、よし、これでやめられたって安心したら、そこはぬか漬けだったらしくて、今度は度数がさらに高い酒って本末転倒ぜよ。

知り合いのブロガが、『パンセ (中公文庫)』 パスカル を読み始めたとの由。自分は、7の言葉と「哲学者たち」の項が好き。池田晶子先生は、哲学界と書き、在野とアカデミズムとに二分して、前者は社会性、後者は学問の厳密の観点から互いの哲学の正当性を主張した、と哲学(研究)者?!を批判?!した(『私とは何か さて死んだのは誰なのか』 池田 晶子)。スタイルやポジション、時代は異なるけれど、パスカルが哲学を批判した視点と池田先生の深淵を覗きたい。そしたら、深淵も覗いているんだから(笑)

帰りの電車の中、本日購入した 『街場のアメリカ論』 内田 樹 の文庫版のあとがきと解説を読む。単行本で読んでいたので、文庫版あとがきと解説を読みたくて購入した。ついでに気になるトピックを再読。

なんだか再読ばかり。違うね。内容を完璧に記憶していたら再読だけど、すっかり忘却の脳髄は初見が正しいよ。情けないけど。