diary

負荷

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2010.06.18 雨

06/17は晴天だった。あきれるくらい。真夏のように暑い。のように、とつけるのは6月を過ごしているからであって数値は真夏。今日は朝から雨。晴天から雨。変化を感じる余裕より憂鬱が体へ覆い被さる。雨の日が苦手だ。雨は苦手じゃない。傘が怖い。違った。傘を持つ人間が怖い。もっと正確な表現を試みると、人が柄を握って強制的に引き起こした振動が怖い。特に階段での強制振動はコワイより恐怖に近い。

階段を降りてゆく人を見ると、10人中2人の傘は振動している(感覚的なデータ)。2割ならそれほど恐れなくてもよいはずだが、うっかり大勢といっしょに階段を降りたら2割の振り子傘が足や体に接触しそうになる。10回降りると8回当たりそう。確率は8割(これは被害妄想的なデータ)。最近では文字を見ながら降りる人が増えた。

M先生のWPを整備。英語版のバージョン3.0がリリースされたのでアップグレードしたい。日本語版は数日後。アップグレード後に不具合が発生していないか掲示板を調べたりTwitterを検索。問題がなければバックアップしてアップグレードしよう。WPは3.0になってさらに使いやすくなった。デフォルトテンプレートのルックスは、下手なサイトのルックスよりすっきりしている。ルックスに凝らないなら充分だろう。

19:00にM先生のミーティングへ。20:00に先生が退席した後、1時間ちょっとみんなで議論した。議論のルールを決める。堅苦しいルールじゃない。誰もが口にしなくても了解しているつもりの節度をホワイトボードに書く。あえて文字にして視覚から確認してもらった。

テーブルの上にあるリンゴだ。リンゴの模様は椅子によって変わる。どの椅子に座って見るだろう。椅子を選ぶ。みえたリンゴの裏側はみえない。極端ではあるけれど半分にカットされたリンゴかもしれない。リンゴの皮の模様をみているのに、対面の人はリンゴの実をみていたら模様を話せない。贅沢が許されるなら、みんなが順番にすべての椅子に座って1個のリンゴをぐるりと凝視。欲望は尽きない。リンゴを真上から見たら、真下から見たら。リンゴをすべて記述できる。すべては完璧じゃない。すべてを記述しても全員の見方と完璧に一致したリンゴを記述できないかもしれない。リンゴの見方は異なる。体を動かして椅子を発見できる可能性をあきらめないことが自分へあたえる負荷である。

書店で『数学的経験』 P.J. デービス, R. ヘルシュ, 『火の賜物―ヒトは料理で進化した』 リチャード・ランガム, 『小説家という職業 (集英社新書)』 森 博嗣 を購入。最近、本を購入したら浮かぶ疑問がある。どうして本を読んでしまうのだろう。森博嗣先生の新書を読んでさらに強く感じた。負けず嫌いじゃない。外に向かう勝ち負けや比較する勝ち負けに対する関心は薄い。それでも、負け組と揶揄されるとやはり不愉快だし気分もすぐれない。

知識の多寡で人物を判定されたくない、したくもない。だとしたらどうして本を読むのか。好奇心と指摘されたらすぐに否定する。ステキな言葉を自分へ適用できない。ほんとうの好奇心を持つ人は本を読まなくても…….(ここからイメージを展開できない)。

尋常ではない量の本を読んでいる人、読書した本をほぼ記憶できる人からすれば、甘い感傷にひたっていると映るだろう。量も読んでなければ、読んだら忘れてしまう。そんな中途半端な状態を抱えて身体がうめいている。

思えば、GIOSに乗ったりK10Dを持って歩いている時がしっくりくる。「理解度の目盛り」も高められている。アウトプットを渇望している。でも、その時間は無駄とも見える。GIOSもK10Dも時間を無駄にしているかもしれない。一つの空間にとどまり無駄を生み出したくないから本を読む。本を読んでいると時間を過ごせる。あるいは思弁したら時間を有効に使っている。

そうなのかな。今、無駄が自分を包み込む。無駄が身体を動かせと云ってくれるし、無駄が本を我慢しろと命令する。無駄のささやきにもっと耳を傾けられたらよいな。

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