diary

瀟洒

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2010.06.21 曇

ミリオンベルの花が咲き始めた頃、何も知らずに無邪気に喜んでいた。先端の成長点に栄養を集める性質と知らなかった。花が咲きさえすればの慢心。切り戻しと摘心を勉強したのはその後。今、周りのミリオンベルは満開の花を咲かせているけれど自宅のはまったく違うミリオンベルになってしまった。失敗したかなぁ。

サーバーの移行作業。S事務所の休眠中のWPや自分のテスト用WPなどを別のサーバーへ移行する。データベースやWPのバックアップ。DNSの設定変更。移行先サーバーの設定。FTPから再アップ。テキストエディタを起動してプロトコルを書き出してから順番に確認しながら慎重に作業を進める。

今日はお腹がすいたので昼食を食べた後、大津駅のパン屋まで買い物。往復約6km超。1時間30分ほどかけて歩く。街中の標語は意味を正確に伝えられていない。特に行政や公共機関の標語は意味がわからない。平均的な識字能力を備えているつもりだが、読解力は平均以下だと怒られているような気分である。

電柱の光ファイバー。10年前と違い至る所に設置されている。いつでもラスト1マイルの光回線をお届けしますよと待ち構えている。空を撮ろうと構えたら電線の自己主張がファインダーから見える。

車道ではロードバイクやクロスバイクが走っている。”自転車”は自分の横を通り過ぎる。歩行者からも自動車からも疎まれる存在。23mmのタイヤで歩道を走るのは苦痛だろうし車道の端は怖い。道路の側溝にタイヤが挟まりかねない。GIOSのタイヤは30mm。76%スリムな23mmのスピード感はGIOSより200%以上かな。

電柱も道路も資金を投入して造る。それをデザインする人の時間軸は何年だろう。かつて道路を造った人は30年後に自転車専用道路を造ってほしいという要望がよせられるとカウントして設計しただろうか。街づくりはいかがだろう。幸運と偶然が撮影した電柱も電線もない写真は、「ない」存在感を映し出す。

大津のパン屋さんはいつもと違う。パンがない。少なすぎる。これから焼くのですかと訊ねたら、右側は御機嫌で左側は誤算の表情を浮かべた女性が事情を説明してくださった。団体客が訪れてきたのでパンがたくさん売れたとの由。今から焼くらしい。ザンネンながら目当てのパンはなかったけれどココのパンはどれもおいしいからバケットを買った。

店の人は嬉しい。でも外から店を見たときパンがないパン屋は俗気を脱してさっぱりしすぎている。とてもおいしいパン屋でたくさん売れたと受け止めてもらえるか、経営が厳しくてパンも焼けないのかと感じるか、抜群の在庫管理と感じ入るか、客の印象をコントロールできない。店の人の複雑な感情がお店の中に漂っていた。とてもおもしろかった。

13:30すぎに出発して15:10に帰宅。夕方にはほぼ完了。あとはM先生のWPのバックアップの準備。日本語版のWPはまだ3.0がリリースされていない。もう少し待たないといけないので環境を整備しておく。

科学と宗教の境界は確かにあって、どちらかに所属している人は定義を説明できるし線も引けるだろうと想像する。自分は両方の存在を理解しているし生活と関わっていることも承知している。ただどちらにも所属していないと自分は認識している。

どちらにも所属していない人が何かのきっかけに境界線をまたいでいることもあると思う。無意識にまたぐ。知らないうちにまたぐ。大病をわずらってホメオパシーを試す人や出産してをマクロビオティックを指向するようになる人、あるいは屠殺を目の当たりにしてベジタリアニズムやヴィーガニズムを実行する人。肉体が未曾有を経験して意識がようやく追いつく。適切な表現でないが意識は転向する。

特に食と医療について転向は布教と結びつきやすいのではと自分は観察している。でもなぜ食と医療と思いついたのだろう。自分の観察の出発点が疑問だ。たぶん間違えているはずだが、それを間違えていると判断できない。その自分がおっかない。

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