diary

稟質

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2010.06.25 曇りのち雨

正夢は真か偽か知らないけれど正夢を見た人の母集団を誰か集計してくださいって思いつつ渋谷の若者たちが狂気乱舞しているころに目が覚めた。

M先生のWPをアップグレードしてから経過をチェック。不具合はない。初期バージョンに比べてアップグレードの作業のリスクは減ったし、不具合の報告も少なくなったと思う。WordPressのテーマは世界中に何万とある。テーマのライセンスに注意しておけば、テーマに事欠かない。デザイナの人たちはゼロから作り込むケースもあれば、テンプレートから一部を改変して制作するケースもあると思う。

本(=Web)の装丁、挿絵やイラストに資金を投入する、あるいはコンテンツと広告にお金をかける、もしくはコンテンツの企画立案から流通までに手間暇と金を投じる、潤沢な資金を持っているなら”すべて”もOKだ。運営者はそれらを選べる環境が整いつつある。

19:00スタートのM先生のミーティングへ。その前に書店に立ち寄って『双調平家物語〈15〉源氏の巻(承前)、落日の巻』 橋本 治『人間はどこから来たのか、どこへ行くのか』 高間 大介(NHK取材班) を購入。その後、シュークリームを買いに駅から15-20分ほど歩く。目当てのシュークリームは残り5個。ぴったりの個数が残っていた。偶然を楽しむ。今回は自分とスタッフでミーティングを開催。20:20ごろ終了。

体質を定義するとしたら科学はどう記述するのだろう。体質が変わる、変わったという。体を定量分析した結果、過去と比べて体に関する数値の増減が顕著になった事実を示すことかなと考えてみたが、どうもそんな単純な記述でないと思う。

体質が変わったと自分が口にするとき、それは嗜好が変わったに近いニュアンス。その次は体の変化。湿疹や吹き出物ができなくなったとか、便通のリズムとか目に見える体の変化である。

体質がほんとうに変わったかどうかを自ら判断できないけれど、食の嗜好と体の反応の変化は認識できる。20代前半はまさになんでも食べていた。今日は何が食べたいと体に聴くより先に食欲が肩で風を切っていたから目にするものをつまんでいた。それが、20代半ばから小食になって30代前半に嗜好が変わった。脂と肉が減った。臼歯・門歯・犬歯の数の割合と穀物・野菜・肉の比率がゆっくりと一致するような食の嗜好へ変わってきた(今も変わっている)。

ただ、34歳ぐらまでは、頭が欲しがる食べ物とそれを食べた後の体の反応を観察したらあまりズレなかった。たとえば、唐揚げを食べたいと欲求して食べたとしても、胃はきちんと消化して体は疲れない。頭と身体を分離した思考は愚かであると理解しているとしても、どうも頭が欲しい食べ物を体がなんとか引き受けてくれていたように思う。

それが4年前あたりから変わってきた。特にこの3年の変化ははっきり自覚できる。自覚のきっかけは寿司と肉。数年前から生食の頻度を減らすようになった。すると寿司を食べたら67%ぐらいの確率で次の日はお腹をこわすか便がいつもよりやわらかい。これはつらい。大好物の寿司食べると体調がくずれる。

肉も同じ。1ヶ月に1、2回ぐらいの頻度で脂を含んだ肉を食べたくなる(牛肉はのぞく)。頭がそう要求するから食べるとやっぱり体調が崩れる。胃はいつも以上に消化しようとしているのかまったく知らないけれど体が疲れる。そうなると理解していても頭は定期的に脂や生食を欲しがる。学習機能が欠落しているかもしれないって心配になるぐらいだ。

でも、って思う。これは頭が欲しがっているのか、それとも身体が欲しがっているのか。そのへんの観察と自分の身体への配慮、両方の精度がかなり低いように思う。

自分では食べられると感覚するのに食べてみるとやっぱり体が受け入れない。このズレが年々ひろがっている。もし、体が欲しがっているから食べてみたら身体は受け付けなかったならば己の身体感覚の鈍さに嘆くし、そうでなくて頭が欲しいのに体は受け付けないとなると、茂木先生のTwitter私塾に質問してみようかなと思う。

体質といえばもう一つの意味がある。性質を表現するために使われる。組織の体質とも云う。今、食と身体の反応を観察していると、組織の体質と表現される意図を納得できそうな感じだ。

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