集約

2010.07.31 晴れ

人工衛星がどうして落ちてこないのかと頭に思い浮かべるのはいつごろだろう? そして落下していると知るのはいつで、それはニュートン力学によって記述可能だと理解するのはいつ頃だろう。

直感的に思い浮かぶ疑問や経験が発見する質問、言葉を紡いでいく論理の問いがある。

13:00前に出発して神戸へ。15:00からO先生と打ち合わせ。17:00に終了。O先生のスライドを拝見すると理解を深める前に直感が養われる。真に息をのむ症例はまったくの素人が見ても感覚的にわかるものなんだ。それを毎度思う。

O先生は多めにスライドを渡さない。いつも必要最低限の枚数をUSBメモリーへ保存していく。術前と術後をあきらかに判定できる症例を選び何も言わず自分へ見せる。反応を観察する。それが判断基準のひとつであるみたいだ。きわめてシンプルな表現を心がけていらっしゃる。

会計事務所にお世話になっていた頃、研修で拝顔したコンサルタントの先生から二つ教わった。その二つを教わっただけでも社会人になってよかったし、今でも行動様式の一つになっている。

一つ目は問題を一言集約すること。クライエントへ提出する提案書に記載する問題点を一言で表現しなさいと教わった。先生は一言集約するために何百ものチェックリストを使って診断する。それらのリストから一つ一つの要素を抽出して問題を抽象化する。

クライエントから話を伺ってただ悶々とイメージする行為が考えると受け止められる。考えるという言葉を使えるだろうか?

「いくつか考えます」と言った人に「いま考えていることを教えてください」と言ったら、「よい案じゃないから」と回答される。「悪い案を教えてください」と言うと、「いや、それは思いつかない」と不思議そうな顔を浮かべる。

そして「考えているけどまだまとまらない」と返答されたので「まとまらない状態を教えてください」と笑うと、たいてい教えてもらえない。「いろいろ考えてはいるんですけどね」と主張する人へ「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼むと、1つの案が提示される。「一つの中にいろいろある」と考える相手と「複数の案を練る」と考える<私>との間にズレがある。

一言集約がとても難しい思考形式だと理解できたのは会計事務所を退職してからだった。

二つ目は報酬について。コンサルティングフィーは上場企業の平役員の給料以上を請求しなさいと先生は主張された。それぐらいの付加価値を提供できないとコンサルティングではない、そして、それぐらい支払っても惜しくないと思われる存在価値でありなさいと。

先生のクライエントは一部上場企業だった実情を差し引いても今の自分に教えを当てはめたら目も当てられず、平役員の給料どころか新卒の初任給に至らず何を教わったのだろうと蹲る。

O先生のウェブサイトもダイエットしてシェイプアップしよう。ただSEO的には好ましいアプローチではない。簡潔かつ適度な分量の文章とSEOのバランスを崩さずサイトを設計して制作しないと。