虚構

2010.08.02 晴れ

朝から蝉が全力で鳴いている。一週間と定着している寿命はもう少し長いらしい。最近、ベランダにスズメがよく現れる。同じスズメかどうか判別できないが朝からけたたましく鳴く。蝉と雀が指揮者のいないオーケストラのようにハーモニーのない音楽を演奏する。

WPの制作。表のサイト を変更した。暫定的な実験。今後もテーマを作成して試行錯誤していこう。

いつのまにか此岸から彼岸へわたっている人はいるんだなと思う。残った人が手続きしないので紙の上では娑婆に存在している。偶然がその存在を確認したら神隠しにあったみたいに消えてしまった。

残された人は知らないと言う。周囲は意図をはかりかねる。憶測をたくましゅうする。

公的機関は物事を複雑にして自分たちの仕事を作り出し予算を獲得している。紙から電子化されてもシステムを簡素化せずに複雑のままにしておく。

一般人が判定できる範囲の膨大な入力項目が公的機関にとっての”必要最低限”であり、不思議なことにその中にいる人たちも一歩外へ出たら一般人であるから自宅へ戻って想像力を起動させたら必要最低限の分量が異常な状態と理解できるはずだ。もちろん理解していらっしゃる。

でも想像力は自宅の机の抽斗や書架に片付けられ、車中で移動している間に何かが入れ替わり眼前のディスプレイと向き合う。あんな場所で大切な想像力を使われたくないって訴えるささやかな反抗なのかもしれないと自分は想像する。

ディスプレイに表示された数字や紙上に残る記録が公的機関の事実だ。事実は建物の中にだけ存在し確認しなくてもよい。

ただ建物の中の事実とほんとうの実体を相互参照したい”だれ”かが現れたら自分たちの建物が破壊されかねない。建物の外から中の事実へアクセスする通路を迷路にしておけばよい。さらによいのは迷路に示す案内文を複雑にしておく。

公的機関は混沌と複雑を峻別しているし一線を引けていると自負しているからシステムはさらに絡み合い入り組んでいく。誰が何を把握しているのかわからないほど複雑にしておけば建物の存在価値は維持される。まるで92兆2992億円を誰一人把握できていないかのように。

いつもの時間にいつもの場所にあの建物があればそれでいい。私たちはあそこへ入ってゆけるのだから。