diary

不振

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2010.08.05 晴れ

ふと気づいたときから自宅のプランタでミステリィが続く。今年は青紫蘇を植えていたプランタから芽が出なかった。原因を調べず毎朝水やりはしていた。あるとき、プランタの土に穴が開いていることに気づいた。気づくたびに土をもどして穴をふさぐ。翌朝になるとまた穴が開いている。

O先生のサイト制作。歯周病のページを終えた。これから少し寝かせる。ページを作り終えてそれを眺めている時、多少の高揚感が混ざっている。制御したくてもなかなか難しいやっかいな感情で、冷静に確認しようとすればするほどコントロールできない領域へ高揚感は隠れていく。

だからページを少し寝かせる。3,4日、あるいは1週間ほどそのページを眺めるのをやめる。それから改めて見ると、違和感が浮かび上がってくる。削れるポイント、足さなければいけない表現を把握しやすくなる。

イオンに入店していたCDショップが閉店してカルチャーセンターにリニューアルする。運営会社は変わらない。運営会社のサイトへアクセスしてみると、ミュージックカルチャーセンターを運営しているようで、おそらく業態変更なんだろう。

3年ぐらい前からそろそろ閉店するかもなって感じていた。このイオンでCDやDVDを購入できる唯一の店だからなんとか維持するだろうけど、昨年だったか、店舗内の一部からCDを撤去して雑貨コーナを併設したとき、閉店を確信した。

一番近くにあるCDショップの状態から業界全体を推論するのは、いつも自戒しているように危険だ。その店舗を観察しておおむね衰退していく様子を理解できた。部分の試行錯誤が続き全体の店舗作りを継続できない。物理的な制限があるから品揃えを充実させられないので店内の見た目を変える。

販売の傾向は平均へ回帰して店の主張は裏の倉庫へ仕舞われる。無難という最高に微妙な褒め言葉が似合う売場。ニッチやマニアへ舵を切れない。

不振、という定義を書き換えなくてはならないと思う。すでに不振ではないのだろう。必要とされなくなった。THE COLLECTORSのポッドキャスティングを聞いていたとき、リーダとコータローさんが「俺たち昭和だからねぇ、モノで欲しいんだよねぇ」ってしゃべっていた。自分も昭和の体臭が染みついているからモノで所有したい気持ちが強い。

本やCDは中身がコンテンツであってモノはコンテンツを運ぶキャリアでありメディアである。そのメディアをデザインする人がいて、デザインによって売上げが変わることはあるけれど、コンテンツが貧弱ならその手法もいずれ通用しなくなる。

奇しくも閉店が決まったCDショップの隣に書店がある。休日の書店に人はたくさんいるけれどレジに並ぶ人は少ない。店員の人たちはレジで忙しいのではなく携帯にデータを格納されないように監視するほうで気ぜわしい。文庫のコーナなんてほとんどいない。

子どもたちはCDショップの前に置かれた巨大なディスプレイに映し出されるトムとジェリーをじっと見る。最初は立って見ているけれど数分もすればしゃがむ。英語であっても関係ない。笑っている。絵本を真剣に立ち読みする子どもたち。

空きスペースに売れない商品を置くならイオンもそこで絵本の朗読をやればよいと思う。子どもが本を読まないと大人は云う。どうも大人の感覚不振みたいだ。自分たちの日常のふるまいをそのまま子どもたちへ敷衍して推論しているにすぎないように思う。

コンテンツにふれる時間と場所をふやせば子どもたちは座ってじっとしている。朗読は読む側にもとてもよい経験になると想像する。

メディアの形態が変わって旧世代のメディアが売れなくなることはあってもコンテンツが売れなくなったわけでない。契機にふれる空間を創出できれば好奇心と興味が体内で自己複製して行動していく。

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