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2010.08.09 曇時々晴れ

08/06(金)にM先生と食事してから帰宅途中、びわ湖花火大会の宴の後を見ながら帰った。浜大津駅付近はゴミ屋敷の惨状を呈していて00:20頃の街の粘性は高く、躰にまとわりつく空気はひどく人工的で気持ち悪かった。職人が丹精を尽くして造った花火は華美な装飾で天上を彩るけれど地上の面倒までは見てくれない。

O先生のページ制作。歯周病とインプラントのラフページを終了。このページを見ながら先生と細部をつめてゆく。

Macでページを制作していているとひとつの事実を忘れてしまう。フォント。スティーブ・ジョブズとMacでは必ず引き合い出されるフォントのエピソード。

「僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした」とスタンフォード大学卒業式でスピーチしたとおり、ジョブスはフォントに心血をそそいだ。その執着は異常と評され病的なまでにフォントの美しさを設計した。

その美しいフォント機能が搭載されたMacのブラウザに慣れていると、時折、Windowsのフォントに吃驚する。ページを制作しながらIE6-8の表示を確認する。今更だし改めて感情を露呈する事態でないはずなのに、MacとWindowsのフォント表示の違いに戸惑う。Windowsの可読性は自分が想定した目盛りをずいぶん下げなければならない。

自分の 表のサイト をIE6で確認したたら想像どおりだったので吃驚しなかったけど代わりにがっかりした。しょうがないとはいえ、想定していたとおりとはいえ、読みづらい。本来ならハックを使ってブラウザごとに仕訳してフォントを調整すれば解決できる。自分のサイトではそこまでしようと思わない。

Macが優れていてWindowsが劣っているという問題ではなく、両者の指向性の違いだと自分は認識している。

大学をドロップアウトしてカリグラフィのクラスに寄り道したジョブスが微妙なアートの要素を含んだフォントの世界に出会った。そこで何かを学んだ。それから10年後、Macintoshに何かが搭載された。

指向性の違いを承知して強く希望すると、MacやWindowsを問わず、そろそろウェブサイトの世界は可読性を追求してもよいと思う。

HTML5の可能性を肯定すればウェブサイトの動画の道は開かれている(コストの問題を解決しなければならないが)。楽観的な立場をとれば、動画はウェブサイトを進化させる。

動画の道が開かれて技術が進歩すれば、ウェブサイトはインターネットの外側にあるメディアを統合していく役割を担うと思う。長い年月をかけて統合していく。

本や雑誌の中で動く映像を見られないけれど、ウェブサイトではそれを実現できる。それがウェブサイトの可能性だと思う。その時、テキストの可読性が改善されなければ、いつまでたっても紙か電子書籍かといった議論が続く。

PC(あるいは各種デバイス)のローカル環境に保存されたフォントを表示する技術的制限を解決しなければならない。クラウドにフォントがあってそれを読み出すような仕様に変更されたら、各設計者が想定したとおりの可読性を維持できるサイトを実現できる。そうなればWikipediaのヨハネス・グーテンベルクの関連項目にウェブサイトのフォントが記載されてもよいなぁって思う。