diary

満月

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2010.08.25 晴れ

月が綺麗。凛々しく美しい。月は年間約3.8cmずつ地球から離れている。先日、月がわずかながら縮んでいることを示す痕跡が雑誌サイエンスで発表された。月の半径(赤道方向)の1,738kmに対し、約100m縮んだと推定される。月は約45億年前に誕生した。痕跡は今から10億年以内にできたらしく地質学的には比較的新しいとのコメント。

「もし月が二つ見えたらどうしよう」とワクワクしながら見上げた。もちろん見えない。でも満月の隣に「緑色のゆがんだ月」を妄想することは許される。だとしたらその妄想は経験へ分類してもよい? 想像のなかで一つの行動を終えた出来事は経験のカテゴリーへ仕訳したい。

今日はサーバとMacのメンテナンス。毎月まとまった時間を確保してサーバーやMacを整備している。ハードウェアのメンテとOSのチューニング。ハードウェアはエアーで埃を除去。マスクをしないと危険。HDDやマザーボード、ロジックボード、メモリなどをチェック。OSはログをチェックして異常を確認。OSの内部に異常にがあれば原因を調べて修正する。

「根本的な問題は、組織にとって重要な意味をもつ外部の出来事が、多くの場合、定性的であって定量化できないところにある。それらはまだ事実となっていない。事実とはつまるところ、誰かが分類し、レッテルを貼った出来事のことである」(『ドラッカー名著集1 経営者の条件』 P.F.ドラッカー P.35) 旧約は1966年、自分は卒論を書くために1995年新約版を読んだ。これは最新訳。

卒論で読んだ時は単語を読み終えただけ。社会人になって何度か目を通して読解できるようになった。身体の実感は伴わなかった。フリーランスになって読解と身体の実感がようやく連結した。

まだ事実になっていない事柄をどうやって発見しようか。分類されてないレッテルも貼られていない出来事の情報が自分のもとへ届くようにしなければならない。

キーワードは観察。事実の前の現象を観察する、と書いたのはよいけど、すぐに自問しなきゃならないわけで、じゃぁ、観察ってどんな行為なんだ? ある事柄を観察するとき、脳裏で構築した仮説を補強しようとする力が作用する。作用された視点は好悪や善悪のフィルターをつくる。好悪善悪のような極端なバイアスがかからないとしても微少な影響を排除しづらい。そのフィルターがつくられたら情報は”生”のまま自分のもとへ届かない。

観察という行為を精確に表現できない。自分の定義を記述できない。理系の方々が使う観察を読み解くと、観察の意味は「観察日記」に使用されるような意味とは異なるような感じだし、形而上学で使われる観察となるとニュアンスすら把握できない。

日常の単語を重層的に掘っていかず使っている点は自覚できているはず。ほんとうは小学校や中学校で習う単語を探求しなければならないと思う。その作業によって、事実になっていない定性的な事象を発見できる契機を察知する力が養われるのじゃないかな。

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