diary

物我

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2010.09.11 晴れ

毎朝、ラジオは滋賀県下の07:00時点の気温を報告してくれる。9月に入って信楽の気温が18℃とか聴いた。大津はまだそこまで低くならないけど25℃を下回るとずいぶん涼しい。信楽が18℃なら朽木村は何度ぐらいだろう。もう朝は寒いかも。

大阪駅を行き交う女性を見ているとブーツを履いている人がちらほら現れた。自分の目に付く日は涼しい朝。相関関係か。毎日見ていない。ひょっとして9月に入って増えたかも。9月が解禁日とか。あるいは温度と比例するとか。温度と比例するなら絶対温度? 相対比? 聞いてみたい衝動にかられて素直な気持ちで聞いたら曾根崎署にお世話になる、って自分へ言い聞かせる。ブーツはちょっと早いと思うけど流行は微細の差異を表現する記号だとしたら我先にモードの先端へ疾走したくなるのかも。

「それが何を意味するかがすでに知られている」ものでなければ、どのようなものを着用携行しようと、それは流行感度の記号としては認識されない。そして、「それが何を意味するかがすでに大衆的に認知されている」ということは、逆説的なことに、それが「すでに先端的ではない」ということを意味しているのである。と内田樹先生が2005年06月17日の日記に書いていたのをいまこの文章を書きながら思い出す。モードの構造。

今日は午前中から暑かった。アルバイトの資料が届いていたので朝からとっかかる。なんとか明日と月曜日の午前中ぐらいで片付けてしまいたい。

昼前に大阪へ。友人と会う。真っ先に足元を見た。彼女はブーツを履いていない。カフェで食事しながら話を聞く。相談は苦手と承知してくれているので話の加減を調整しながら事柄をしゃべってくれているはず。ありがたい。

土曜日のカフェはたくさん。ショートブーツやサンダル。Dr.MartensやTimberland、Nikeなど。そういえば7月に購入したDr.martensをまだおろしていない。いつごろ解禁しようかと玄米と野菜サラダを口に運びながら考える。10月頃まで続く不均衡な空間を眺める。おもしろい。半袖にブーツや七分袖にサンダルとか。画一的な外見から袖丈やパンツの丈、靴がグラデーション。気温が突然5℃ぐらい下がっても昨日まで着ていた服装の感覚は急に変わらない。

15:00すぎに友人と別れて書店へ。紀伊国屋が改装中なので違う書店へ。若い人たちが多い。学習とは何だろう、という問いが浮かぶ。問いの立て方が間違っている。すぐさま頭から消し去った。学習についての問いの立て方に悩む。解に興味ない。最適な問いを立てられなければ次への扉は開かれない。

自分が学習しているとは思わない。TwitterやRSSを追いかけていれば世の中は学習している人だらけだ。勝ち負けではない。その方々が追いかけている先を知りたい。

それには学習の意欲を失わずに知識を体系的に学び、知識を知へ変換しながら行動する。そして学習の根源は常に自分が変わり続けることにある。変節漢と評価されることを恐れずにどんどん昨日と違ったことをやり続ける。

書店に行ってよかった。やっぱり異空間の人と自分を比較してはいけない。IQ220のマルタ・エウヘニア氏は言った。

「有意義に過ごすには、自分が物語の主役にならなければなりません。自分でコントロールできない要因に囚われていてはいけないのです」

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