烏賊

2010.09.19 曇のち晴れ

日本には創業100年以上の企業が22,219社存在する。業歴1000年以上の企業が7社、江戸時代前に創業した企業は200社、残りの9割は江戸時代末期に創業して業歴が100-150年とのこと。都道府県別の分布は1位が東京(2,058社)、次に愛知県、大阪府、京都府、新潟県と続く。何%の人がこのデータとイメージと合致しないだろう。自分はその1人だった。おもしろい。

午前中、F先生に送付する Keynote を仕上げてメール。第二創業期をテーマに打ち合わせを重ねて今後の経営方針を決定する。感想文的な経営理念や診療方針を作文しない。数字を洗い出し、到達する数値を算出する。現在の診療システムからエラーを分析して改善策を明文化しなければならない。経営に哲学を導入したらダメ、経営から哲学を抽出できればユニーク。

午後、『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』 メアリアン・ウルフ が届いたので、ぱらぱらっとめくってみたらとてもおもしろいのでそのまま読み続けた。今、『組織化の社会心理学』 カール・E. ワイク を読んでいて、接点はないのに認知の共通項があるような感じ。

「読む」という行為によって脳は変わる。著者は小児発達学と認知神経科学の教授で言語と読字とディスレクシアの研究者。第一章の冒頭、プルーストの著書『読書について』の一節が引用されている。一節を読む読者の心理プロセスと認知プロセスが解説されている。ここを読んでスイッチがカチリ。集中モードへ突入。とてもとてもおもしろい。

F先生やM先生の経営を後方支援していると「基準」を常に考える。基準を与える立場と基準を与えられる立場。たとえば円高を耳にしたら「円高の基準」が疑問に浮かぶ。知らない。統計の数値を見たら何を基準にした数値だろう。知らない。国内問題と領土問題、違いはないだろう。知らないからうっかり単語の選択を間違えて不快な感情を発動させかねない。何も実行していないのに担当大臣の名前を見て人事を批判する会もある。我々の扱いはそんなものか、と。

円高を名目為替レートで判断するか、実質為替レートと購買力平価で判断するか、両者の見解は異なる(「旧実効為替レート(名目・実質)」の解説:日本銀行)。インターネットやtwitterでは小沢一郎氏を支持するユーザが多かったような感じだ。観測範囲が狭いから偏ったサンプルであるけれどマスメディアと正反対の数値がしばし報じられていた。小沢一郎氏を支持する基準は概ね一致していた。菅直人氏を支持する基準はいかがだろう。いずれもすべてたとえ話であってふと政治が思い浮かんだから拡張させた。他の事柄でもよい。

僕は判断する人に敬意を払う。いかなる判断であっても「判断」の入口へ立った人は「基準」を知るからだ。

そして基準に拘泥すると直観を失う。前提を決めて境界条件と制約条件を設定する。論証を一つ一つ積み上げて筋道を作り上げる。そのプロセスを経て基準は現れる。ところがそのプロセスの一つ一つに基準があって基準の無限ループに陥る。

基準から判断する仕方と直観、両者の均衡を観察する「基準」がもっとも難しい。