diary

思辨

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2010.09.21 晴れ

暑さが戻った。湿度の暑さが戻ってきた。蒸し暑い。8月のジリジリ照りつけるほどでないけど湿度が高いと身体は疲れる。

WPの制作。今回のサイトは黒系を採用した。初めての試み。配色パターンが案外難しい。写真の使い方にも悩む。文字の色と可読性を優先したい。コンテンツはマニアックなのでルックスで目を引くより商品の写真とコンテンツを際立たせたい。

『偶然とカオス』 D. ルエール が届いた。偶然がテーマの思辨哲学を読むより偶然をテーマにした数理へ関心をいだく。無意味な比較だ。手続きが違う。前者は定められた手続きに従って弁証していくような印象を持っているが、その「手続き」を理解できないからいつまでも弁証の理解へ到達できない。到達できないから自ずと遠ざかってしまう。

毎朝、茂木健一郎先生がTwitterで連続ツイートされる。だいたいリズムどおりだと僕が目覚めて30,40分ぐらい、ちょうど頭のけだるさが抜けはじめる頃に連続ツイートが始まる。

それを読む。毎朝、圧倒される。毎度浮かぶ疑問。出力の質量。どうしてあれほどの質の高い論考を毎朝ツイートできるのか。「今日は何をツイートしよう」と考えてから書き始められるようなテーマじゃないと思う。一方、何かのきっかけから単語が思い浮かんで、浮かんだ瞬間、思考はトップギアに入って全速でキーボードを叩いているような連続ツイートもある。

10-13ほどの連続ツイートを読むと、僕も朝から慣らしなしの全力で仕事だって副腎から髄質ホルモンが分泌されそうに興奮する。それに、自分もいつかはあんな風に出力できる知性を身にまといたい。切望。

頭脳のデキが違うから羨んだり思考回路に強い興味を抱いたところで自分は変わらない。でも、茂木先生のあの文章、美しい単語が連続した文章は空論に陥らない。身体の実感が伴ってくる文脈。

(書けるわけないけど)私が同じ内容を書いたら、覚えたての小難しい単語を陳列したイミテーションが生産される。同じ原石を与えられても僕ではダイヤを生産できない。

難しい単語、語彙の質量じゃないと思う。たしかに難解な単語や学術用語、専門用語を使っていらっしゃる。だからといってユニークにならない。結局、生成された文章の全体像が閉じていない。開いている。開放された文脈がユニークだ。先進的で開放されているから誰が読んでも理解できるし、そして反発が生まれる。

対して共感も反発も生まれない誰が読んでも頷ける文章は、当たり障りのない内容を書いている。知的な雰囲気を装飾して難しい言い回しを使って表現しているから高貴な文章と錯覚してしまう。それらの文章は、先人の文脈テンプレートを引用して単語を入れ替えたにすぎない。文脈そのものを自ら創造していない。

オリジナルに引けを取らない替え歌がまれにあっても、それはビギナーズラックみたいな一度だけ訪れる幸運である。

偶然と幸運だけでは知性の樹を育めない。

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