diary

密室

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2010.10.18 晴れ

10/16(土)、大津ジャズフェスティバルへ行くとき空を見上げるととても鮮やかな雲を見た。高積雲か巻積雲かどちらか判別できなかった。秋の空を強く実感できて嬉しくなった。12:00から始まった大津ジャズフェスティバルを18:30頃まで見学。贅沢な一日を味わえた。

O先生のイラスト制作。根管のイラストをOKいただいたので引き続きGBRとインプラントのイラストを制作。歯科医療の正確性を担保しながらデフォルメして伝えるので難しい。

10/14(木)に19:30からF先生と勤務医の方々といっしょにミーティングしたとき、フレーム問題が最後の方で話題にのぼった。帰宅後、『デカルトの密室』 瀬名 秀明 を本棚から探し出してぱらぱらめくった。「フレーム問題だ。世界の記述が爆発したんだ!」(P.184)で身体がびくんとなったのを覚えている。

「八〇年代になって、日本人のAI学者が『コンピュータだけでなく人間にもフレーム問題はある』と主張し始めた」(P.218) “一般化フレーム問題”が普段の生活のなかで起きないのはなぜだろう? 確かに人間にはフレーム問題なんて存在しないかもしれない。ロボットは時限爆弾(=ダニエル・デネット, Cognitive Wheels : The Frame Problem of AI[2])を爆発させても人間は爆発させない。認知を勉強していると、無限の空間のなかで自然界で発生した知性はフレーム問題をどのように解決しているのか興味を持つ。そもそもないかのようにふるまっているかもしれないし、”ほんとう”に解決しているかもしれない。

フレームは枠であり枠といえば、境界条件と制約条件を僕は思い浮かべる。何かを意思決定するとき、この二つの条件を決定する議論をまず始める。物語や文学的表現を議論から取り除いて、データと合理的な事実にもとづいて推し進める。あくまでデータと合理的な事実にもとづいて推し進める比率を高めるだけである。こうやって言葉に記述すれば簡単な事柄であっても実際に顔をつきあわせてディスカッションしたらそう簡単ではない。

年齢や所属の立場、単語数と知識の多寡、そして感情が交錯して、それらが混じり合った集合体はデータと合理的な事実にもとづいて議論する理路をふさぐ。良い悪いではなく、データと合理的な事実だけに依拠して完璧な議論は展開できないだけだ。

以前、ある歯科医院の先生からCTを買いたいから背中を押してほしいというメールをもらった。税理士の先生に相談したら反対されたと書いてあった。僕は背中を押した。無責任と自覚して。データと合理的な事実にもとづけば反対してもおかしくない投資に対して税理士の先生とは異なったアプローチをして僕は先生の背中を押した。結局、先生はCTを購入した。今はとても満足していらっしゃる。CTを充分に活用して投資資金を回収している。ただし当初の予定より回収のペースは遅れている。それは納得できている様子だ。

直観。何から何まで直観で決めていたら破産が待っているかもしれないが「直観」から生まれてくる決断はあると思う。特にある岐路に立ったときの決断に迫られた時だ。

「これならCTを購入しても何とかやっていける」という根拠なき実感が作動したと僕は推察する。直観は無数のデータを蓄積したデータベースから生まれる。診療空間の身体がデータベースを参照して「いけるだろう」を頭へ引き渡す。感情が発露する。買いたい。じゃぁどうすればいい?

確度の高い情報と合理的な事実、正確なデータが揃っていれば意思決定できるはずなのにそうならない。僕がもっとも関心を寄せる点であり、認知プロセスと関連させて考察したいテーマである。この文章が文学的表現を使っているのと同じだろう。

文章は事実と意見と感想を明確に区分して記述したほうがよいと云われるはずなのにいつしかこの3つは混じり合って一つの物語を紡ぐ。

自分の密室から脱出するには何を認知すればよいのか?

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