過激

2010.10.19 曇

10/14, 10/15と開催された(はず)枚岡祭を検索してくる人が増えた。このエントリーがヒットしている。5年前のエントリー。懐かしい。左の写真は15歳、右の写真18,19歳か。髪の毛があるなぁ。朝、水やりをしてラベンダーのつぼみに気づいた。そろそろ咲くのか。とても楽しみ。反してガジュマルの葉につやがなくなってきた。少し心配。

O先生のイラスト制作。今日でおおまかなポイントを描き終えられそう。描けたら毎度同じく寝かせる。数日後にもう一度ファイルを開く。その時のポイントは自分の状態だ。自分の状態をどれだけ真っ新な状態へ近づけるか。自分で描いたファイルをあたかも他人のオブジェクトのように観察しようとしてファイルを開かなければ寝かせても成果はでない。

『COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2010年 11月号 [雑誌]』 講談社 がおもしろい。TEDの記事が掲載されていたので書店で見かけてすぐに買った。TEDの動画をよく視る。日本語訳が更新されるとアクセスして視る。ビル・ゲイツ曰く「5年以内に最上の教育はウェブからもたらされるようになる」 らしく、茂木健一郎先生はTwitterでTEDを「次の時代のハーバード」と評していた。そんな意見に対して米国の大学は価値を提供しようと、iTunes UやYouTubeに無償で講義を公開している。講義を動画で提供するにはコストがかかっている。では米国の大学はそのコストをどう捻出しているかを11月号は掲載している。専業主婦が「先生の講座のおかげで興味を失わず、むしろ拡げることができます」といい、スペインに住む元投資銀行家は、「大学時代に物理学の学位を目指すべきでした」とメールを大学へ送る。メキシコ、イラク、韓国、中国などから大学へファンメールが届く。

体系的に学ぶことは難しいかもしれないが、学びたいと思えば日本にいても世界中の講義へアクセスできる機会が増えた。ほんとうに感謝したい。僕の障壁は英語。言い訳にしない。学びたいものが英語で提供されているならしょうがない。

最近視聴した動画 デレク・シヴァーズ 「目標は人に言わずにおこう」 | Video on TED.com がお気に入り。時間は3分18秒。3分間スピーチ で素晴らしいコンテンツを表現できる。否、反対。3分で表現できるデレク・シヴァーズの着想と着眼と技術がコンテンツなんだ。最小の語彙と最適な表現、そして映像をうまくコントロールすれば3分で伝達できる。1分間で話す字数は日本語は平均約400字。英語だといくつだろう。

TEDのひとつのプレゼンは原則18分内と定められている。この18分の意味を調べてみたいが、TEDのプレゼンを視ていると、10/14の日記に書いたAmazonの”Kindle Singles”とリンクする。アイデアを伝えるために1万~3万語(約30ページから90ページ)程度が最適化されたボリュームだとAmazonは説明する。

TEDの動画は相互理解や説得ではない。アイデアを的確に伝達している。そのボリュームが18分。理解は聴衆の側にあり、舞台の上の人は理解をコントロールできない。そう解釈すると90-120分程度のプレゼンの伝達効率は低下するだろう。それよりもまず時間をクリアすることが目的となりかねない。そうなれば必要ない要素が組み込まれてしまう可能性が高い。結果、プレゼン全体がぼやけてしまう。

舞台の上の人は過激だ。自分の研究結果に自信を持っているからだろうか。コンテンツを紡ぎ出せた人の考えや言葉の選択は過激であっても洗練されている。賛成と反対、どちらであっても反応したくなる。そう、身体を動かしたくなるコンテンツだ。村上春樹がパスタを作るシーンを書けばパスタを食べたくなるように。

パッチワークの作品はすばらしいアートだし機能的である。様々な大きさや色の布片が多様で変化に富む模様を作り出す。僕はあれを見るたびに思う。素材が布片だとアートだ、でも素材が言説ならばパッチワーク手法と言われる。

パッチワークの目的は何だろう? つなぎ合わせが目的だろうか? 違うはずだ。じゃぁオフライン・オンラインの至る所で見つけられるフレーズをつなぎあわせたパッチワークの目的は何? 自分の頭の中で再生される映像や思考を表現すること。だけどそのコンテンツは過激じゃない。つなぎあわせることが目的になっているからだ。上品に言えば「編集の仕方」の技量がいつしか目的と変わっている。