定説

2010.10.26 曇のち晴れ

ラベンダーの蕾が膨らんできた。うっすら見える紫色。蕾の成長とあわせるかのように背筋が伸びている。ピン。残暑が厳しかった頃はぐったりしていた。今は天にむかって伸びたい気持ちを自制しているかのよう。

午前中、アクセスログをチェック。お昼前にふと気づいた。あるサイトがトラブルだった。すぐに連絡して状況を伺う。おかしい。調べてみたら状況を把握できてきた。悲観的な状況を想定した。次の手をどう打とうか。

それを考えながら13:00前に京都へ出発。F社のH氏と打ち合わせ。「3ページの壁」を伝えた。現在の課題はウェブナビゲーションだ。それはこちら側の能力の問題だから改善しなければならない。どうにか、なんとかして。海外のサイトや国内で有名なサイトへアクセスして情報の構造設計を調べる。

サイト制作能力を自己評価するとグラフィカルなサイトやフラッシュのサイト制作は苦手だ。得意なサイト制作はミニマム系で、相手からコンテンツを引き出す技術に自信を持っている。だから「らしさ」のサイトを制作できる。ただザンネンがながら「らしさ」があるからといってSEOの順位が上がるとは限らない。

今の能力にサイトナビゲーションを構築する能力が加えられたら弱点のリスクを軽減できると分析している。『デザイニング・ウェブナビゲーション ―最適なユーザーエクスペリエンスの設計』 James Kalbach, 『デザイニング・インターフェース ―パターンによる実践的インタラクションデザイン』 Jenifer Tidwell, 『アンビエント・ファインダビリティ ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』 Peter Morville をいつも読むたび理論から実践へ移行するプロセスそのものがその人のコンテンツなんだと思う(成果を出さなければコンテンツではないと承知の上で)。

コンテンツを引き出す能力は「観」と「感」だ。歯科医院のサイトを制作するとき観察する。観察は主観に満ちあふれている。徹底的な主観のなかからそぎ落とされた客観を抽出する。抽出の確度と精度を高める。現場の人間ですら気づいていないほんとうのコンテンツを発掘して追求する。コンテンツは論理だ。その論理を表現する技術が感。感情、感覚、感性、感度、臨場感、高揚感……論理を感へ変換して表現する。

ひとつの歯科医院を前にサイトを制作する。そこには膨大な文脈が存在する。全情報である。すべてだ。すべてとは技術、情熱、背景、歴史、前提、意味、意義….. 名詞で言い表せる情報と動詞で言い表す情態が文脈を形成して臨床現場の物語を紡いでいる。

その膨大な文脈は一枚の絵を構成している。文脈をジグソーパズルのピースに分解してもう一度つなぎ合わせる。そこから本人が想定していなかったようなパズルの絵を完成させる。それがコンテンツを引き出す、「コンテンツの設計」だと僕は考えている。

ナショナルジオグラフィックによると「アフリカ以外で最古の現生人類を発見」したらしい。場所は中国南部。アゴの骨が見つかった。もちろん慎重な意見もあるが、もっと証拠が見つかって研究が進めば、現生人類がアフリカを出た時期(約6万年前)は大幅に書き換えられるかもしれない。そうなれば人類の移動の歴史は変わり別のヒト属との異種交配が数万年にもわたって行われていたかもしれない、との疑問が次々と提出される。

定説を書き換える発見は人々を魅了する。僕は定説を書き換えるような証拠を発見できないけど、発見の構造は常に持ち続けたい。コンテンツを書き換えるような事象を発見して提供したい。