diary

今まで知らなかった自分を知りひどく落ち込んだ夜に空を見上げたら曇から月が現れた

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2010.11.27 晴れ

午前零時が1日の始まりだとしたら今日は帰り道から始まった。京都駅から自宅へ向かう最終列車へ乗らずに違う列車に乗った。気ままに駅に降りた。真っ暗だ。大阪駅を出発した時は金曜日で京都駅の到着は土曜日だ。日付が変わる列車に乗って駅に降りれば待っている人たちがいる。背中を少し丸めて無言で待っている。列の人たちは互いに言葉を交わさない。とても安全な街だからなのか気質が反映されているのか知らない。僕も列に並べば自分から話しかけない。車のエンジン音と列車が発車する音だけが聞こえる。

琵琶湖へ向かう。空を見る。曇り空。暗くても雲がはっきり見える夜はある。琵琶湖が近づいてくると風が強くなる。携帯電話が振動する。メールを見た。気の利いた返信ができる状態じゃないから一言書いて返信する。

言ってはならないことを言ってしまったとき、今まで知らなかった自分を知る。寡黙な人が好かれるか饒舌な人が好かれるか、あるいは反対に寡黙が嫌われるか、饒舌が嫌われるか。まぁ、寡黙か饒舌かだけで人が判定されたら狂気だ。いやあるような気もする。どちらでもよいと思う。まだ強がっているのだろう。

私は他人を妬んで俗受けをねらってしゃべる。しゃべった内容が私の耳に届く。しゃべった瞬間の私としゃべった内容を聞く私は同じようで違うと思う。時間的なズレはミリセカンドにも達しないかもしれないけれどとにかく違うと思っている。反面、同じだと反論したくなる。私は私だろうって。訳の分からぬことを言って韜晦するなって我へつっこむ。正直、わからない。どちらでもよいと思えない。やっかいだ。

語った私と語った内容を聞く私。語り手と聞き手の私は今まで知らなかった私を作り出す。今まで知らなかった私を知りひどく落ち込んだ。

相手の顔を見て私は自分の感情に気づく。私が自分の感情を一人で気づいた刺激より相手の顔から自分の感情を教えてもらう衝撃のほうが大きい。断言しているけど一人で勝手にそう解釈しているだけだ。すべて思うである。自分で知り得る感情より他者から教わる感情のほうが肌理が細かい。これも見えるからそう思える。だとしたら見えない人はどうなるだろう。真剣に感じる。目をつぶる。琵琶湖へ向かう夜の道、一歩も前へ進めない。怖い。

ひどく落ち込む。言ったことに後悔していない。しているかもしれない。どちらだと問い詰められたら後悔していないと強がる。後悔したかしないかを吟味するよりも今まで知らなかった私と出会ってしまったショックが大きい。後悔はもっと後から訪れるだろう。訪れるならば。

琵琶湖で空を見上げる。曇り空。雲と雲の間にとても明るい空間があった。そこをしばらく見つめる。月が現れた。1,2分でまた隠れてしまった。奇妙な明るさだけを残して。

琵琶湖から自宅へ歩いて帰る。

12時間後、同じ場所にいた。一人で琵琶湖を眺めた。素敵なグラデーションだった。手前は薄い薄い水色で琵琶湖大橋へ向かって濃い青へと変化する。

今、何をしているだろう。一人で散歩すると思い浮かべる。同じ時間、違う場所で何をしているだろう。浮かぶ顔はその時によって違う。ひとりの週末がある。来週末もひとり。確実に訪れるかわからない未来の日付が楽しみだ。

今まで知らなかった自分を知りひどく落ち込んだ夜に空を見上げたら曇から月が現れた。今まで知らなかった自分を知り何とかして向き合いたい昼に琵琶湖を見たらとても素敵な色が現れた。

見えるからだ。見えることはとても幸せ。等しくとてもつらい。視覚は膨大なビットを入力しているけれど気づいていないビットの方がはるかに多い。見えていないビットもあるはずだ。わずかなビットに反応する。反応した心は正気を生み狂気を育てる。

今まで知らなかった自分を知るとは、関係を正しく認識できることだ。関係はつながり。強いつながり、弱いつながり、途切れるつながり、瞬間のつながり、これからつながるかもしれないつながり、まだつながっていないつながり。

今まで知らなかった自分を知る。

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