diary

逢瀬

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2010.12.23 曇時々晴れ

明け方から午前八時ごろまで雨が降っていた。ほどよい日差しの晴れが続かない。冬の天気ってこういうものかもしれない。雲が幾重にも重なり隙間から太陽は居場所を地上へ教える。晴れてもカラっとしていない。部屋の明暗が自分の感情のようにコロコロ変わってゆく。

午前中、O先生のサイト制作。あと少し。ここで焦ってはいけない。完成の少し手前が肝心で、梯子の上りより下りに気をつける感覚と似ている。現在、40症例ほどアップされている。これらはまだ手つかずなのでまた先生といっしょに打ち合わせしながら整理していく。

Twitter のRTで 同じ時空間で会うことにお金を払う。そんな時代の空気。 ってつぶやきを見た。ハッとした。自分のモヤモヤをスパッと切り裂いて中から言葉を取り出してくださった感覚。

先月だったかな、USTで配信された大学のセミナーを視聴していた。池上高志先生がスピーチしたり言語認知学の研究者とセッションしていた。この間、宇多田ヒカルが自身のコンサートをUSTで無料配信した。僕は観なかったので品質を確認できていない。視聴に耐えられるクオリティーは確保したと想像する。回線速度と品質の問題は残っているかも。

貨幣は幻想だよって今の僕は考えている。TwitterのRTの「お金を払う」にフォーカスしていない。「同一の時間と空間で会うという行為」にピントが合った。近い将来、移動と共有の価値がとても高くなるんじゃないかと思っていたのでドキった。とても大切な経験になっちゃう。そんな感じ。

同じ時空間で会ってあたりまえ、の感覚が現在のデフォルト。でも、東京に住む0歳の孫と鳥取に住む祖父母がいたら、両者の感覚はデフォルトじゃない。もし、息子か娘から Skype を教えてもらったら祖父母は操作を必死で覚えるだろう。孫の顔を見たい一心で。孫とケータイメールをやりたくて覚えるんだから。

Skype で孫の顔を見る。0歳の孫はディスプレイに映る祖父母の顔に反応する(だろうか、とても興味深い)。自分たちは”見えている”のにディスプレイに見える孫の顔は100%リアルかなって不安。ちょっぴり疑っている風な祖父母は顔をほころばせる。真実と信じて。ばぁ、ぷぅっ、て顔をゆがませる祖父母。

孫の声が聞こえてきた。パソコンが再生している音声か、孫が現実世界で声帯を振動させた音か、戸惑うかもしれない、なんて、杞憂で終わる。杞憂にすらならない。声に嬉々、二人でパソコンの取り合いに危機。

現在、 Skype が欧州とアジアでダウンしている。祖父母はパニック。電話で苦肉。 Skype の操作を覚えていても Skype がダウンしているかどうかを調べる方法を知らない。技術とはそういうもの。

同一時間と異空間、 Skype は10年前なら会えなかった両者をつなぐ。現代人の同一時間・同一空間の感覚は、 Skype でつながれた状態に少しずつ慣れていく。Skype に限らない。Twitter や Facebook でもつながっている。同一時間・異空間への違和感が薄れていく。違和感が薄れれば薄れるほど孫が鳥取までやってくる経験、同一時間・同一空間の共有体験の尊さが際立つ。まるで孤独の実体を正視している人ほど他者を愛おしく味わうかのように。

やっぱり逢わなきゃって。エッ、会ってるじゃん。だって、昨日、あそこでご飯食べていたんでしょ、って半年前に顔を見た人から言われても違和感がなくなっていく。そうそう、それでね、っていきなり会話が始められる。Skype や Twitter や Facebook で自分の「行動」を知られる状態を監視社会と受け止めるか透明化社会と認識するか、どちらを選択するかでそれぞれのあり方は異なる。

未来、感覚は逆転するかもしれない。同一時間・異空間の感覚がデフォルトであって、同一時間・同一空間が奇妙に受け止められる。同じ場所で同じ時間に”ほんとう”に目の前にいるってヘンナ感じだねって。そうなれば同一時間・同一空間での体験と経験、そして共有は尊い価値だと認識されているだろうか?

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