diary

表層

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2010.12.26 曇時々晴れ

気温は低かったが晴れ間ものぞき穏やかな天気。会津若松は大変なことになっている。JR会津若松駅のライブカメラを視た。ビックリ。線路に積もった雪の上を渡ってホーム間を移動できそう。列車が積雪を押しのける? かき分ける? 入線。よく動くな。道路標識が雪に埋もれそうな写真を Twitter で見た。すさまじい。

土曜日にO先生のサイトを仕上げたので今日は「寝かせる」期間。終日、自分のブログの文章をいじったり、読書していた。久しぶりに自分を冷静に観察できた。よかった。状態を修正できそうだ。修正する代わりに失うものはある。得られるものもある。喪失の耐性と獲得の喜懼で帳尻を合わせられるかな。

昨日、体重の話を書いた。体重や食の話をすると知人が健康だねって時々口にする。仕事が好きなんだね、と問われて、「全力で否定する。全力で。全力で」と書いたと同じ全力を1%上回る全力で否定する。全力で、全速で、全開で。否定は疲れる。体重や食生活には今に至る長い文脈があってそれを端的に表現できないから。エレガントなストックフレーズもないし。こちらの表現能力が課題なんだけどそもそんな話をしなてくもよいよなぁって思ったり。だんだん話すことがなくなっちゃうな。最近は否定せずに、ええ、健康ですね、ってニッコリ笑うようになりたい、と願っている(まだ、実現しない、だってそこまで大人じゃないし)。

(先日書いた)貨幣と同じく健康は幻想だって想定している。健康だけじゃない。「あたりまえに存在する現象」に記号をつけて分類された状態を幻想だと想定している。想定しているなんておおげさですが。昨日、再読しはじめた 『ものぐさ精神分析 』 岸田 秀 先生ほど深く層の厚い論考なわけないし。ぴったりあてはまる単語が思い浮かばず、茫々としていたら先生の著書と本屋で出会った。今まで読んだことのなかった唯幻論を読み、便利な単語を教えていただいた。それ以来、使っている。使っているけどシニスムに陥るつもりはありません(ってはまり込んでいたらどうしよう)。

個人というものをさまざまな私的幻想をもつ存在として理解している。その私的幻想がすべて私的なものにとどまっているかぎり、他者との関係はあり得ない。二人のあいだに関係が成立し得るためには、二人のおのおのの私的幻想を部分的にせよ吸収し、共同化し得る共同幻想がなければならない。その共同幻想に、二人がおのおの、その私的幻想の延長を見、その私的幻想を従属させるとき、はじめて二人のあいだに関係が成り立つ。『ものぐさ精神分析 (中公文庫)』 岸田 秀 P.177

闘病生活中でも月に二、三度は旅行へ出かけて楽しんでいる。身近で観察していてとても楽しそうだ。他方、身体は機能的に動き数値的な異常はないのにリア充からほど遠い。どちらが幸福だろう? よくある問い。それって問うたら詭弁だよね。健康を幸福へすり替えている。健康と幸福はリンクしない。両者が自ずとつながるまで待たずに無理にリンクさせるから健康=幸福の等式は信仰の対象へ昇格する(いや、信仰が悪いわけじゃないんです、”主義”ですね)。一つの等式に万人をカテゴライズできない。

貨幣を考えている間はお金の呪縛から解放されていない。学問や学術の研究や考察とは異なる。僕が思い浮かべる貨幣は俗物的で即物的な物質。貨幣は幻想だとしゃべっている時点で僕はお金に執着しているんだろうなあ。「金で買えないものはない」のグローバリストと「弱者にも金を分配しろ」の人権派は相反しているようで「金の問題」と信じている点は同じ(by 内田樹先生)、そんな構造に似ている。

同じく健康は幻想だよねってしゃべっている時点で僕は病気への恐怖から解放されていない。定義された健康があって数値で標準化されいて合否を判定できるような状態があるって思い込んでしまっている。幸福って何? の問いの立て方が不幸だよなぁ、とか、「個性」と記されたスローガンが至るところに見られる個性にあふれた場所とかってねぇ、って思い浮かべるそれ自体が幻想から最適な距離を保っていられず私は幻想の「中」にいるんだろうね。

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