diary

相貌

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2011.01.03 晴れ

12/31, 01/01と比べて寒気は弱くなったけどまだ寒い(こう書いたら風邪を引いていると思われる?)。雪は残っている。日が当たりにくい場所や人があまり歩かないような所は白い。自然が雪を溶かすには時間を要する。人が思っているよりも長い時間。自然の行いを待つ。雪が溶けてゆくプロセスを子供の科学のように正確に記述できて理解したら楽しいだろうな。

終日、読書。学術書(学術論文? 単なる本?)はやっかい。古い年代の本だとAmazon では古書扱いになる。手に入らないこともある。メジャ(?)な論文は中古でも手に入る(新刊はおいそれと数冊同時購入できる金額じゃないし)。図書館で探せばあるかもしれない。でも、マイナ(?)というか、一般向けじゃない本や小さい出版社(専門書を手堅く出版しているという意味)の本は大きな図書館へ行かないと見つからない。大津市の図書館にはないと思う、たぶん。まあ研究(どういったものか知らないのに使っているのは失礼だなぁ)じゃないから偶然で読めたらと満足している。

昨年の12月、コートジボワール大統領選挙の記事を読んでから続報を追いかけている。理由はない。ただなんとなく気になった。緊迫した状況。死者も出ている。世界銀行や西アフリカ諸国中央銀行は資金援助を停止。隣国は武力介入も検討。国連の事務総長は内戦の可能性もあると述べている。

昨年の11月末に選挙の結果が出た。にもかかわらず一つの国家に「二人の大統領」と「二つの政府」が存在している。

はじめて記事を読んだとき、ありのままの事態を読めても理解できなかった。日本に二人の首相がいて二つの政府、たとえば自民党と民主党が別々に組閣して政府を樹立するなんて想像できない。前提の政治体制が違う。違っても理解できない。理解するための「フレーム」を僕は持っていない。

フレームがないから記事を探して丹念に読んでいくしかない。フレーム自体をつくらなければならない。比較はその過程から生まれる。

銃火を浴びずに選挙の会場へ行き投票できる。それ自体が極めて安定した体制であることを強く認識する。投票結果がいかなるものであろうと僕は受け入れなければならないし落選した人も同じだ。

選ばれた人は政治を遂行する。「国民の付託」はテンプレートになった。完璧に納得できる単純なフレーズを口にしないと支持率が下がる。支持率というより好感度調査。好きか嫌い。数字の魔力に絡め取られた人々は数字の印象を自分の判断に置き換える。印象は人心を可塑的に変える。

不安定な政治に不満が募っても、その政治は極めて安定したシステムの上に構築されている、という事実は比較の中から芽生える。

比較は優劣や勝敗の要素を含んでいる。客観的な比較は再現可能と反証可能な「仕方」を学んで身につけたプロでなければ難しい。だから僕の比較は感情的で情緒的であり論理とはほど遠い比較である。日本の政治システムとコートジボワールの大統領選挙を比較する理路自体がナンセンス。それは承知している。

Wikipedia程度の情報を読んだだけでも、日本とコートジボワールの違いを理解できる。政治・経済・民族・言語・宗教・教育が違う。そうやってそれぞれの特異性を認識する。世界有数の経済規模で民族の数は少なく、使われる言語は一つ(これは差別なんだろうか?)、数多の宗教はあれど敬虔な信者は一定の割合に収まっている。識字率も極めて高い。

比較は特異性を認識させる有効な手段なんだけど、一方で、未熟な比較は判断を誤らせてしまう。

比較は優劣と勝敗の要素を含んでいる。それらの要素は微細であっても僕の比較へ影響を与える。自分の比較から優劣と勝敗をとりのぞいていく行為が「考える」ことかなと思う。

比較のプロトコルは特異性を認識させる。そこで終わったらダメなんだと思う。今度は自分の比較を他者の比較と比較して、高次の状態へ高めなければならない。さらに高次の比較から距離を置いて、「比較」を超えなければならない。ならない、と書いているのは自分が想定する道筋であり、他者へ強要しない。

「比較」を超越するプロトコルを僕はまだ発見できないでいるなあ。なんとか見つけたいなあ。

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