diary

突破

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2011.01.07 雪のち曇

七草粥。食べられず。いかん。内田樹先生がツイートしていらしゃったように「そいういう行事食はきちんとやらないと岩村暢子さんに叱られちゃうの」みたいだ。過去にも書いたはずですが、また七草を。ごぎょう、すずしろ、せり、なずな、すずな、はこべら、仏の座が春の七草。無病息災。

F社のサイト設計を練る。年明けから二件のアクションがあったとご報告をメールで拝読して嬉しかった。僕のなかではまだまだ。制作者サイドの課題が山積。ルックスの強化、コンテンツの再構築、ナビゲーションの設計。できればWPでやりたい気持ちもある。あとはWPの制作。

16:00すぎに大阪へ出発。電車のなかでポッドキャスト「辺境ラジオ」を聴いていた。電車のなかの音声やノイズが気になって本を読めない。最近はポッドキャストやTEDをもっぱら聴いている。集中力が低下してる証左。やっかいだな。

途中でいつもの本屋に立ち寄り『ひとりでは生きられないのも芸のうち』 内田 樹 を購入。単行本でも読んだのに文庫を買うってもうお布施みたいですね。苦笑い。

19:00からM先生のミーティング。もう1人の外部の方がプレゼンされた。約五〇分。テーマは「コミュニケーション」について。僕が想定していた内容と違った。とてもよかった。尤なるプレゼン。臨場感があった。問いを授かる。これから吟味しないと。

スタッフの方々は共有された印象を受けた。「何を」共有したのか。それをおりにふれ検証してほしい。確信をもって共有したものをひとつだけあげられる。笑顔。ステキな笑顔は世界の共通言語。

昨年、MBSラジオで「辺境ラジオ」というのを3回やっていた。今年も続くらしい。司会は西靖さん。出演者は内田樹教授と名越康文医師(サイトの名称を拝借)。おもしろい。電車のなかで笑ってしまうので怪しまれないようにとっさにアクビをしたり、顔をゆがめたり(こっちのほうが怪しまれるかな)、窓の外を見るふりしたり忙しい。

何度も再生したいコンテンツの中で「ベタな等距離」は特に印象に残った。今の自分の心境と重なったからだろうな。

教師と学生の間には「ベタな等距離」は存在しない。近くであったり遠くであったり、互いに距離を測っている。近すぎたり遠すぎたりもする。距離を測り損ねる。

学生が次のステージへブレイクスルーするとき、学生は必ずいったん無音状態に陥る(内田樹先生)。無音状態に陥った学生は「何を言っているのかまったくわからない」らしい。以前は何をしゃべっているのか判ったり納得できた。

無音状態に陥った学生は遠ざかる(名越康文先生)。遠ざかっても学生は講義やゼミに出席している。物理的な距離はまだ近い。ところが発言しない。そんな日が続く。どうして発言しなかったと尋ねると、「いや、意見を言わないほうがよかったかなと思って」との回答。やがて学生は消える。眼前から。物理的な距離が遠くなる。

そして再び目の前に現れた時、学生は次のステージに立っている。コンテンツの質が全く異なるのだ(内田樹先生)。

そんな学生がいる。

僕は学生のようなブレイクスルーを経験していないかもしれない。羨ましい。ブレイクスルー直前の無音状態や距離(感)への共感を抱きたくても抱けない。

ただ「ベタな等距離」を理解できる。分かる。共鳴する。顧客との距離を悩む。いつも。ベタな等距離は存在しない。持続可能な関係性を維持したいと考えて近く「すぎる」のもどうかとあぐねる。反対に遠くなれば周囲は心配してくださる。あるいはおぼつかなく思っていらっしゃる気配。

「遠く」が続けば、やがて離れてしまう。「わからない」という状態を互いが待てなくなる。あるいは僕が待てないのだろう。なんとくなくこころがあやぶみはじめて気持ちが動きをせばめてしまう。

四つの距離。物理的に近い、物理的に遠い、精神的に近い、精神的に遠い。それぞれの組み合わせがある。組み合わせのピースを試しては失敗を繰り返す。そうやって「コト」をつくりだしていけばやがて偶然が最適な距離をもたらしてくれる、そんな淡い期待と甘えを抱きしめる。

距離感と顔は密接な関わりを持っていると僕は考える。「豊顔」から「飽願」へ(造語です)、「表情」から「表面」へ。これについては明日また書きます。書けるかな? まあ誰も読んでないから気楽に綴っていこう。

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