diary

教条

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2011.01.14 晴れ

歳を重ねるにつれて自分の身体は変わる。変わり様をリアルタイムで実感できない。あるときふと気づく。小さい字を読めなくなった、腕を上げるたら肩が痛い、息があがるなどなど。なぜ変わったとわかるのか。基準があるから。明確な基準ではない。定量でも定性もない。おぼろげであり実は身体的な基準。身体の変化を身体感覚が知覚する。わけがわからない。だから言葉にできない。後ろから追いかけてくる影をなんとなくふり返るみたいに。言葉にできないバカさ加減を定期的にバックアップする。

基準は都度書き換えられる。書き換えられる頻度は身体の部位によって異なる。頻繁に書き換えられる身体の基準がある。他方、数年に一度、十年に一度ぐらいで書き換えられるのもある。ちょっと前に厄年を調べた。その響きには精神的な災いが込められていると思った。それだけではなかった。身体的な意味を含んでいる。厄年が身体の変調の起点となっていても驚かない。それも「後から思えば」である。

19:00にM先生のミーティングに出席。出発前に本屋で 『まっくらな中での対話』 茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク を購入。往復の車中で読了。ひさしぶりにワクワクした。痺れる。とても大切な問いと出会った。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に出席してみたい。

本当に、完璧な、絶対なる暗闇(茂木健一郎先生)。僕は知らない。疑似暗闇なら伊良部島で味わった。夜、ゲストルームから外へ出ようしたらヴィラブリゾートのスタッフの方が「携帯電話をお持ちですか?」と訊ねる。「手ぶらです」と答えたら「お持ちになった方が…..」とやんわりと教えてくださった。外へ出て氷解した。それでも顔を上げれば満点の星空が低い位置にあって(手が届きそうなほど)、それが光源でもあった。

完璧な、絶対なる暗闇のなかでのダイアログ。「目が見える」からの断絶によって生まれる「コト」がある。

M先生のミーティングに出席。先週とは異なった雰囲気だった(毎週同じ雰囲気のほうがおかしいと思う)。また何かを一つ作ったと評価した。どうしてそう感じるのか。もう一人の外部の方のおかげ。その方の存在を認識している。

個別の具体的事例はここまで。以下は私見。個別具体性はない。

前提と価値観が異なる人がいる。「いる」はおかしいかな。すべての人の前提と価値観は異なるんだから。とにかくその人と出会う。出会ってから時間を経て受容を選べるか否か。分岐点は自己批評だと僕は思う。力量や器に依らない。自己批評は独白じゃない。自己批評に欠かせない関係性は他者。同や類ではなく異に属した人々。

前提や価値観が異なる人を受け入れるって表現は言うは易く行うは難し。こう書いているそのものが、言うは易くなってしまっている。

思想とドグマは寄り添っている。それが今の僕の見解。どちらを選択するか。僕は前者を選択しても他者は後者を選んだと疑う。逆も同じ。

思想と書けばおおげさだ。カラーでもよい。言葉はユニークだ。あるひとつの単語に対する印象は果てがない。特色、特長、特徴、持ち味、固有、オリジナル…..。カテゴリーから事柄を表現する単語を最適かつ効率よく選択できる能力を的を射ると云う。僕にはない。

いいかげんに定める。カラー。「組織やチームのカラー」と「団体や集団のカラー」に対していかなる印象を抱くか。たとえば「組織やチームのカラー」と「団体や集団のドグマ」と書く。何を想像するか。

内側の人は組織やチームのカラーと信じている。他方、外部の人は団体や集団のドグマと認識する。

「組織やチーム」と「団体や集団」、「カラー」と「ドグマ」を対立軸で書いている。わかりやすいと思ったから。カラーが善でドグマが悪でない。言葉そのものに善と悪はない。言葉からイメージするモノやコトを僕は善と悪に仕分する。あるいはモノやコトに道徳の規範を定める。

むしろカラーからドグマまではグラデーションである。ひとつの連続した状態だと僕は思う。組織やチームのカラーという状態は団体や集団のドグマという状態へいつでも転移する。

前提や価値観が異なる人を受け入れる。そのプロセスは臨場感と緊張感に包まれる。臨場感と緊張感は二つある。一つは他者に対して、一つは自分に対して。このマトリクスが新しい視点を生む。

ブレインストーミング、会議、ミーティング、対話…..。それぞれ異なったイメージを抱く。根っこは同じ。何が同じ? 「確認作業の場」になってはいけないということ。私たちのカラーは似通っているよね、私たちの行動は同じだよね、私たちは共鳴しているよね、っていうことだけを「確認」する場にしてはいけない。

確認に抵抗したい。それはとてもツライ。自分を徹底的に吟味しなければならない。批判や非難じゃない。自己嫌悪でもない。深く深くもぐっていく。息が続かない。もう息継ぎしたい。これ以上潜りたくない。そんな葛藤を抱えてさらに深く潜る。

言い負かすとかやり込める、そんな味覚を口の中に残している間はぜんぜん潜れていない。知識の多寡と模倣の技術によっている。

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