diary

蠱惑

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2011.01.21 曇

昨日の月はまあるく美しかった。花鳥風月。花と月に魅せられる。鳥と風は心にかけない。不思議。魅せられようと魅せられまいと流れとよどみが入り混じる。

01/11に書きたかったのに忘れていた。2011/01/11 11:11の時に何をしていたか。僕はタイミングを見計らってジャンプした。ベタな「地球上にいなかった」やつをやってみたかった。2011年はセクシー素数。2011/01/01は1/1/11と表記できて1999年9月9日以来。今年はあと11/1, 11/11 が残っている(1/11は終わった)。21世紀ではこの2回で終わり、もうそんなふうに表記できる年はない。2011は11個の連続した素数の合計なのがクール。すごくクール。

セクシー素数のセクシーは、ラテン語の6が「sex」であることに由来している。なるほど。古代の人も6をひっくり返して合わせる行為に人が突き動かされることを数字に表現したかったのか。おもしろい。

午前中、アルバイトの入力を終えてデータ送信。ほっとした。効率的に作業できるようになった。午後からO先生のサイトのアクセスログを集計してSEO対策を施す。テクニカルな順位アップは餅は餅屋にと思うのだが、先生から寄せられる全幅の信頼に応えなければならない。

信頼、ふと思う。僕はだしに使われているのか頼られているのか。これって僕の側で判定できるのかい? って。ぼおっとしているとよぎる。あるいは読書や映像を眺めている最中にぱっと浮かぶ上がってくる。何か個別の具体的な出来事や深い感情が起動したから考えるわけじゃない。俗っぽい言い回しなら、利用されているのか信頼されているのか。存外、両者は完全に独立した二つの事柄じゃなく、一つの集合の中に含まれるような気がしないでもない。ただ、僕はその円の中にいる。外から円を眺められない。だから、どっちなんだろうとふと思うと数奇なんだよな。

ならいっそ自動判別してくれる装置があれば、僕の鈍い感度はさらに鈍くなってくれるのに、と思う。円の外から自動判別してくれる装置、その精密な装置をきめこまかくつくりあげていく作業がインタラクションかもしれない、とか。

16:00すぎに出発。大阪駅で下車して丸ビルのスタバへ。本屋からスタバがレギュラになった。読書。19:00からM先生のミーティング。今回は何を伝達できたのか。定かでない。不安。己のふるまいに確かな手応えはない。一期一会はきちんと意識できている。それがせめてもの救い。

20:00すぎに終了。21:00に京都着。遠方からやってきた友人と会う。軽く食事しながら酒を飲む。彼女の思考と言葉はWENGERのキッチンナイフみたい。僕はこのナイフを愛用しているからそう思う。年に一、二回会う程度だから強く感じるし、容姿に魅せられてバイアスがかかっているかもしれない。音楽と本、芸能、家族の話であっという間に210分が過ぎた。毎度、思う。噛み合う理由。相手の印象的な一言、”どうでもいいからよ”。そうだな。おそらくこれが伏流している。

勝負と善悪とビジネスから最大の距離を置いている。それらをすべて削り落として剥ぎ取って向き合うからこの場かぎりの暗黙の了解がはりつめる。相手のまなざしが好悪を判定していても気にならない、どうでもよい。groovyなliveを共演するだけ。相手も同じらしい。どうでもよい、って地点に立って見えてくる信頼ってあるんだなと気づいた。

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