diary

間性

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2011.01.27 晴れ

水曜日から調子が悪い。頭が痛い。風邪か。そんな感じではないような。目がかすむ。乱視は確かに進行してそうだけどそういうブレじゃない。かすむというかおぼろげみたいな。今朝も頭が痛い。昨日より目の調子が芳しくない。ひょっとして花粉かも。今年はいよいよ発症するかなぁ。花粉の報道が酷い。昨年の10倍超という。では昨年の飛散量は? 過去十年と比較したら? こういった報道がパニックを引き起こす元凶だな。まぁ僕みたいに10倍と目にしただけで慌てふためく読解力もいかがなんだけど。

10:00から京都駅でF社のH氏と打ち合わせ。経営者の視点と苦悩を伺う。こちらから差し出す意見はない。共通の了解を持っているから。経営者が選択する手順や実効策に対して、僕の評価や意見はある。ただそこへ至る経緯までを了解しているからひどくずれていると感じなければ意見を差し挟まなくてよいと考える。時に意見は不確定な要素を与えてしまいかねない。やってみなければわからない。やらない組織より何百倍も優れている。

ランチをご一緒して(この場合、”ご”は不要? それともお供するが適切?)、話は続く。聴く、という行為から場面を想像する。これは経験か? 毎度、思う。想像した出来事をこねくり回す。頭の中で一人舞台を演じる。何人かの役を想い描きながら台詞をつくる。一人弁証法的一人舞台。これはなんだ? 自慰か?

ランチをご馳走になってお別れしてから書店へ立ち寄る。『現代思想2010年5月号 特集=現象学の最前線 間文化性という視座』 パトリシア・ベナー, 田口 茂 を購入。『現代思想2010年10月号 特集=臨床現象学 精神医学・リハビリテーション・看護ケア』 木村 敏, 村上 靖彦, 宮本 省三, 河本 英夫, 西村 ユミ, 松葉 祥一, 熊谷晋一郎, 綾屋紗月 も買うか悩んだがやめた。なんだか実感、身体が反応しなかった(少し立ち読みしただけなのででたらめな判定です)。

今、「間」を指向する。このごろコインの話を書く。表裏一体という。一体であるのに、「分けて」考える。時に対立軸として捉える。表に主体と書いてあり裏は客体とある。主体と客体ってバカ(=僕)が難しい単語を使って喜んでいるだけなのでコインの表と裏は何でもよい。愛情と無関心(憎悪?!)、恋と愛。生と死。いちいち例の単語が重い。もっとカジュアルな単語をくれよってツッコミいれるが、即興で浮かぶ単語がこうだから許してくれと懇願する。誰に対して許しを請うているのかわからない。

誰かがコインを放り投げる。回転するコイン。表裏がわからなくなる。未分け。

コインの表は「分け」とあり裏は「未分け」とある。対立ではない。両極である。グラデーションとも見える。ではグラデーションを見分けようとしたら、「間」はどこにあるのか、と思う。だから「間」へ向かう。そもそも「誰が」コインをトスして、「誰が」そのコインを見る? アナロジーのコインは「何」?

極端な癖がある。突然、23:00に寝て06:00前に起きる生活をはじめる。突然、酒をやめると言い出す。突然ではないんだけどなぁ(口中で噛みつぶす)。無意識と意識の間を往来している自分の文脈があって、それが形で現れたと評価している。表に見える形で現れた。が、他者は突然と認識する。極端から極端へのバイオリズムがあってよいよなぁ(心中でたたき壊す)。

であれば、「人との距離のはかりかた」も極端と評価されるんだろうなと思う。同名の歌をplentyが歌っている。とてもステキな歌。お気に入り。

極端から極端を往復して疾走しているとき、ふと「間」はどこかと気づく。間なんだ。

間と中庸は違う。あたりまえだ。ただ、どちらも両極から見える景色である。中庸だというほど中庸であらず、多様性と云う自分は多様性でない。ある言葉を口にした瞬間、それは自分から最も遠い現象の言葉を選択している。その自覚がない私を最も恐れるべきである。人は一番最初に自分に対して嘘をつく。

だから「間」を指向していると書く自分は、ほんとうかと疑う。そこから始めるしかない僕にはない。

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