diary

攻落

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2011.02.10 曇

寒い。身体を注意深く保守していても下降は免れない。どうも二次関数のグラフの頂点をめざしているようだ。やだなぁ。調子を戻してライブへ行きたい。第二候、黄鶯睍睆。鶯が鳴き始める。そろそろ平野へ下りてくる。葉物野菜は高止まり、うぐいす菜といわれる小松菜もしかり。煮物で活躍してくれる。煮汁は深奥。

O先生のアクセスログをチェック。相変わらず特異な数値。困る。おそらくO先生の講演を聴いた先生や実習を受けた先生がアクセスしてきていると推測。先生によると今回リニューアルしたサイトを他の先生が評価しているらしい。そんなもんか、と僕はスルー気味。評価の定義が異なるから僕にはまったく関係ない。とにかく困っている。正攻法で解析できない。

17:00からM先生と打ち合わせ。今月から年間のご契約をいただいてウェブサイトの打ち合わせがはじまる。18:00すぎに終了。18:30からM社のOさんと合流。

文献管理で悩んでいる。本を読むのにあたって周辺の資料を検索する。PDFがヒットする。あるいはデータベースにアクセスしてPDFを検索する。ダウンロードする。今まではファイルサーバに”PDF”というフォルダを作成してダウンロードした日付で管理していたが、どうもおさまりが悪い。

調べてみるとEndnoteってソフトがあるらしい。理系の研究者専用らしい。英語雑誌論文データベースの検索結果を保存・整理し、参考文献リストを投稿雑誌の形式に合わせて出力できるとのこと。学生でないので52,290円。手が出ない。文系の文献だからお呼びでないかも。Mendeleyってソフトが無料とか。

ああ、そうか。「入口と出口をイメージできないからソフトを選べないんだな」と理解した。僕が論文を書く(出口)なら、リストしなければ資料や雑誌、収集しなければならない文献(入口)を思い浮かべられる。

入口から出口までのプロセスを描けたら、どのソフトがプロセスと合致しそうか理解できる。ソフトの機能を読めばよい。だけど、今の僕はPDFをどんなふうに管理したいのかわかっていない。入口から出口までのプロセスを記述できない。ソフトを選べない。

結局、アカウント取得してほったらかしていたEvernoteで管理してみることにした。EvernoteでPDFを一元管理してみよう。

この日、京都の夕方は寒かった。夜も寒い。河原町はたくさんの人。一人で歩いていると森博嗣先生のフレーズが時折頭によぎる。

海の上でただ独り、小舟で浮かんでいたとしても、孤独が味わえるかどうかは疑わしい。たとえば私の場合、孤独の信号を感じるときというのは、身近に大勢の人間たちがいる、そんな状況がほとんどなのだ。きまって、絶え間のない笑い声や、グラスの鳴る声が、陽気な音楽に包まれて耳から侵入しょうとしている。

『恋恋蓮歩の演習』 森 博嗣

茂木健一郎先生の連続ツイート「夕暮」が好き。その一つ夕暮(7)

夕暮(7)何処にも属さない「夕暮れの時間」を持たなければ、自分について、社会について根源的な思考はできないような気がする。ヘーゲルの言う、「ミネルヴァのふくろうは夕刻に飛び立つ」の意味は、そこにあったのだろうか。

連続ツイート「ざわ」も好きだ。その一つざわ(4)

ざわ(4)夕暮れ、街を歩いているときに、何とも言えぬ不安に包まれることがある。自分を包んでいる社会的文脈がほぐれ、とけ、たった一人で世の中に放り出されているかのように感じるのだ。そのような時、胸の奥が、甘美にざわざわとし始めるのがはっきりとわかる。

雑踏のなかを一人で歩く。歩いている瞬間、瞬間はどこにも属していない。解放された途端に包まれる不安。自由であるはずなのに不安。矛盾。一歩一歩、歩く度に孤独を確認する。孤独を捕獲する。

誰かと目が会う。目があって自分はその人の顔を見ていたのだとはじめて自覚する。誰かの顔とすれ違い視線が交わらなければ自分が見ている方向を知覚できない。

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