diary

入力

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2011.02.18 晴れ

体調は回復途上。匂いを取り戻せて嬉しい。嗅覚を刺激する食は食べた実感ををともなう。匂いがない食って噛んだ感覚しか残らない。噛めるだけでも幸せなんだけど。声の調子はまだおかしい。籠もってる。クリアな音声じゃない。1週間たっても風邪が完治しない。よい体験。今回の体験を記憶しておかなければならないな。

アルバイトの資料が届いたので夕方までずっと入力。単純作業はウェブやファシリテーションなどの創作より高い料金を得ている。へんてこりん。僕の価格設定が未熟なんだな。そういう点で経営者失格だなあ。言い訳したら、請求する側と支払う側の認識のギャップと推察する。どこにでもあるギャップでどこにでもある話、取り立てて騒ぐでもない。

創作は結果が出力されるまで時間を要する。打ち合わせやヒアリング、コンセプトを抽出してコンテンツを決定する工程、それらを含めた時間を金銭に換算(下品な発想だがビジネスとはそういうものだと思う)すれば支払う側は釈然としないかもしれない。目の前に結果が提示されていないのに何事かと。

他方、資料を見て入力する作業は入力自体が結果だ。成功と失敗の区分はない。完成しかない。課題は入力精度の向上と安定である。問題は支払金額と作業量の均衡。

16:00前に出発。大阪駅で途中下車。いつもの本屋で 『自分探しと楽しさについて』 森 博嗣 を購入。そのままスタバで読む。

「小説家になりたければ小説を読まない方が良い」と述べたが、これは僕自身には当てはまらない。僕はもう少し他人の作品を読んだ方が良いだろうと感じている。(同P.65)

こういう表現は珍しいかも。森博嗣先生の著作は、先生が「常に考えているコトを書いている」わけじゃないと思う。ちょっと違うかな。嘘を書かない(この嘘の定義も難しい)。創作である。創作の視点は、「読者がどんなことを読みたいか」と僕は推測している。あえて「内的」な事情を文章で書かなければならないほど、先生から見て誤解した読み方が多いのかもしれない。それでもどう読もうが自由だ、先生のおっしゃるとおり。

19:00からM先生のミーティング。もう一人の外部の方、Mさんが相変わらず的を射た意見をおっしゃる。すごいな。で、大丈夫だなとまた安心する。自分の役割はこれからも果たすけど、何かが起きて僕がフェードアウトしてもM先生のミーティングは崩れない。

目標と目的を議論している。自分の目標と目的を出力した。おもしろい。それが自己評価だ。僕の行動様式は手段だと気づいた。

目標と目的、それぞれの意味を調べる。便利になった。両者の解説がネット上で次から次へと表示される。

目標は「状態」で目的は「動機」と僕は考える。それが目標と目的に対する僕の入力である。

卑近な例をあげる。手入れの生活(=状態)を僕は指向している。所有物を必要最小限にして一つのものをできるだけ長く使いたい(=動機)。30代前半まで量を所有できたら満足だった。30代半ば、そのスタイルに疑問を持ち始めた。いまは疑問が確信に変わってきた。「ひとつであること」と「簡素」へのあこがれが強くなった。着なくなった服は布巾に。使わない物は捨てる。もったいないけどどんどん捨てる。本も同じ。

ところが…..! 紙の上に目標と目的を記入したら奇妙奇天烈。目標の内容は「やることリスト」になってしまった。入力の理解と出力の内容が一致しないんだ。こういう状態を頭の回転が鈍いと云う。

目標を書く欄は「具体的実効策」を書いている。なんでこんなことになったんだろうと自己分析してみた。そこで「手段」という言葉が出てきた。僕には目標と目的がないんだと気づいた。気づいたというより再認識した。ないより拒否している。それが自分の感覚を伝えるニュアンスに近い。

「想い描く状態」が目標であるとしたら、「達成」という行動が設定される。「想い描いた状態への欲求」が目的であるとしたら「満足」という所思が設定される。

達成と満足への関心が薄い。「やる」か「やらない」かに関心が強い。だから目標と目的を入力できたのに、出力までのプロセスで意思が作動して拒絶したから手段を出力してしまったと自己分析した。

この拒絶という意識をさらに詳しく分析しなければならない。さもないと自分を損なう機会が増えてしまうだろう。それが僕の課題だと認識できた。

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