diary

欺瞞

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2011.02.24 雨のち曇ふたたび雨

井出綾香さんの『あのね』を聴く。高校生。特徴的な声。シンガーに対して特徴的な声ってせんないことなんだけどね。福原美穂さんを好んで聴いているけど、僕の中で似た印象を持った。これからの表現が楽しみ。

第五候、霞始靆。水滴や微細な塵によって比良山系の景色はうっすらぼやけて見える。たなびく。なかなか使わない言葉。菜の花をちらほら見かける。大人になって食べられるという。和え物で食べてみるけどやっぱり苦手。あの苦味。

午前中、M先生のPRを一気に書き上げる。テーマとカテゴリーに分ける。テーマは3つ。それらのテーマに対して複数のカテゴリーに分類して、カテゴリーごとに広告と訴求の文題を考案。4時間ほどかかった。まだ終わらない。まずは暫定バージョン。これから追加と改訂をくり返す。

午後からO先生のページ制作とリスティング広告の調整。クリックされている。広告の効果はある。そのクリックが来院へリンクするかが問題。やっぱり餅は餅屋へ任せるほうがよいと思うけどこれでちゃんとフィーをもらっているから責任を果たさなければならん。

夕方、散歩へ出かけて書店で 『空間の詩学』 ガストン バシュラール を購入。散歩していて名前と概念がリンクしない「何か」に出会ったら戸惑う。歯科医院の看板広告を見る。”個人名+歯科医院”という屋号が表示されている。僕は院長先生=歯科医院という概念を描く。その概念は強固で一つ。”それ”からどんな歯科医院かを心象する。概念と心象は違う。

実際の現場では複数の勤務医がいらっしゃったとしたら強固な概念を書き換えなければならない。書き換えは気持ちに依存している。「歯科医院」という概念は維持されているから、「院長先生に診てもらえないんだな」ぐらいの気持ちの切り替えで落ち着くかもしれない。

“個人名+歯科医院”の医院へ足を踏み入れる。診察してもらう。「はい、では後ろを向いて服をめくってください」と言われて聴診器をあてられたら驚くな。僕は驚く。散歩しながらそんなシーンを空想する。”歯科医院”と書いてあるのに診察は内科だったら詐欺かな。犯罪や法律の枠組をいったん取っ払ったら詐欺のラベルを貼れるかな。電柱にぶちあたりそうなり、自転車にひかれそうになりながらふらふら歩く。不審者通報メールが送信されかねない、アブナイ。

“個人名+歯科医院”という屋号を選ばない。ゆくゆくは医院を拡大したいからという理由があげられる。はじめから「会社」のような屋号を選ぶ。仮に「おふらんど」って屋号だったらいかがだろう? 法律で認められないかもしれないが。「おふらんど」って書いてある広告に”一般歯科”,”インプラント”とか書いてあったらコンマ数秒ぐらい意識と意識の通信が遮断されてしまうような感じだ。

僕は「名前」を確認して、名前から自分が持っている「フレーム」を起動させる。「フレーム」が「概念」を固定させる。固定できたら安心する。”それ”から概念の範囲内で自分なりの解釈を立てていく。

ある「コト」や「モノ」に対して、僕は自由に捉えられるはずだ。なのに「フレーム」がまったくない状態では、「コト」や「モノ」を自由に表現できない、自在に着想できない。不自由である。自由に捉える、という言葉は存在してもその実践は幻想へ近づいている。

そこから「自由」へ拡張する。自由は不自由があって自由になれる。そんな解釈も可能かなと思う。不自由の集合に制約や制限などの要素が含まれる。

名前と概念がリンクしない、どちらか一方が欠落しているような「コト」や「モノ」に出会った時、他者は「何」から両者を結びつけるのだろう?

ウェブサイトを制作するとき、この前提がとても大切なような気がするんだよね。

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