diary

故旧

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2011.04.12 晴れ

朝は少し肌寒い。日中は陽射しは暖かい。今年の桜は三分咲きぐらいまではゆっくり歩いてきたのに七分咲きから葉桜までは駆け足だったような印象。週末の雨と強めの風のタイミングがいじわるだった。

夕方までアルバイトの資料とにらめっこ。入力終了。なんとか仕上げられた。夕方、お通夜へ参るために京都へ。そのあと新卒でお世話になった会社の先輩と後輩とで食事へ。おおよそ年に一、二度ほど拝顔の栄えに浴する(大げさですね)。

鳥の料理を食べながら久しぶりのお酒。はて、このまえにお酒を飲んだのはいつかと食べながら思い出していた。そうそう、M先生とご一緒したときだから二ヶ月近く前。そんだけの間、お酒を飲んでいなかった。

煙草と同じだな。「この一本を吸ったらやめよう」と決心している間はやめられず、「はて?」とクエスチョンマークが頭に浮かんだらからだは求めなくなる。たぶん酒もこのまま飲まなくなってもとりたててこまらないような気もする。「この一杯を飲んだらやめよう」って聴牌や「もう飲まない」ってあがりではないけど、一向聴ってとこか。

ブログを書いていない間でも読書は続いていた。『記号論への招待 (岩波新書)』 池上 嘉彦『認知言語学』 大堀 寿夫 が読み応えがあってもっと学びたい気持ちに。ビジネスの現場ではコミュニケーションってタームが氾濫してしまって、ややもすればコミュニケーションを説明するのに 『コミュニケーションするロボットは創れるか―記号創発システムへの構成論的アプローチ (叢書コムニス13)』 谷口 忠大 で指摘していらっしゃるとおり「同語反復」になってしまっている。極端な話、コミュニケーションについて説明するために「コミュニケーション」を惜しみなく使っている。

とか、「あっ、それはコミュニケーションの問題ですね」や「そうですね、課題はコミュニケーションですね」って指摘できたら、指摘した人も指摘された人もダーツがインナーブルに突き刺さったみたいな空気に包まれる。

なるべく離れておきますよね。「コミュニケーション」が惜しみなく使われる空間からは。そのフレーズが死語に認定された空間がコミュニケーションの場であるんだから、ってしたり顔で同語反復を書いておきます。

こんな気持ちなんだろうなぁ、「コミュニケーション」を惜しみなく使って、コミュニケーションの解説やコミュニケーションの説明を惜しむ時の気持ちは。

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