diary

非器

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2011.05.03 曇

曇っている。黄砂がまた飛散して霞んでいるのか霧の影響か、どっちだろう。起床時もあたたかくなってきた。母の日に贈る花をみる。いままでどんな花を贈ったのか思い出す。すべて思い出せない。印象に残った花や母親からユニークなコメントをもらった花だけよみがえる。今年はシンプルな構成が気になってそれを選んだ。

本日もWP制作。GWはCOMIN’KOBE’11とライブへ行くだけ。それ以外は仕事と読書とお散歩。ふだんとかわらず。

クライアントの先生が東北へボランティアに行っていらっしゃる。無事にご帰宅されることをひたすら祈る。3.11の2日後、ある映像をみてから食前のお祈りが癖になった。まだ習慣ではない。その祈りに先生をくわえさせてもらった。

正法眼蔵随聞記一 二 我れ病者なり、非器なり

『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.10-11

むずかしい。わからない。何度も読んだけど理解できない。理解しようとする姿勢がよけいな混乱を招いているかも。理解しようとせず何度も素読しようかなと思う。

自分の身体が丈夫であるか病弱か。そんなことに囚われていけない。なにかするとき、意識は理由探しを優先する。なんのため、なにゆえ。それを納得しなければ身体を動かせない。慎重は漬け物石みたい。正常に機能していれば美味しい漬物をしあげてくれるけど、食卓の上に置いてあったら邪魔でしようがない。

先日、ある方から話を伺っているとき、怒りは他者に向けられた銃口ではなく、自分に向けられた銃口なんだってフレーズをひらめいた。かりに怒りの原因(あるのかなって思ったりするけど)が、相手や対象にあったとしても、怒っているのは私。

僕自身を参照すれば合点が行く。僕は悪くない、と錯覚したり確信しても、怒っているのは僕だ。その怒りが私を刺激して興奮させる。そして疲れさせる。興奮を抑えるため、自分を癒すために相手へ怒りの銃口をむける。引き金をひく。そこまで。命中するかどうかわからない。怒鳴って脅してなだめて、当たり散らしても、相手はかわしているかもしれない。

怒りは「なんだかよくわからないおもしろくない」を増幅させる。気持ち。心持ち。気が立つ。気。その引き金を引いたのは誰でもない。僕なんだなぁって。だったら引き金を引かなければよい。引かないようにするには、「怒らないようにする」んじゃないと思う。引き金を引くか引かないかに迷うこと自体が怒りの集合の要素じゃないかな?

銃があるかぎり引くか引かないか迷ってしまう。銃がなくても生活できるような環境をコツコツつくりあげる。未然という。未然に防ぐ。怒りを未然に防ぐ。そうじゃないって。未然に防ぐじゃないって、とか自問自答する。

怒り、そのものを消し去る。原因や感情や関係とかを吟味している間は、まだ怒りがある。そんな気がする。まだ「気」(これも不思議な単語)なので自分でもよくわかっていない。よくどころからまったくわかっていない。イメージがふわって浮かんで残像が浮遊している感じ。

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