diary

領解

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2011.05.16 晴れといってもカラって感じではない

日曜日の朝、カラっとした空気で湿度は高くなくすがすがしかった。気分がよかったのでチキンのホールトマト煮込みをつくる(“ので”って使い方がおかしい)。ズッキーニ、シメジ、ナス、ピーマン、鶏肉(むね)。かんたんだから気に入ってる。材料を大きめに切って鶏肉を炒めてからあとは煮込むだけ。

月曜日、ひとり生活二日目。お昼はトマト煮の残りをソースにしてパスタ。夜はごはん、タコとプチトマトのマリネ(小鉢)、お味噌汁、冷や奴。お腹いっぱい。

今日は誰ともひとことも話さなかった。こんな日はめったにない。とてもとてもステキな日である。時計の針じゃない時がみたされる。ますます気分がよくなる。

第二十一候、竹笋生。文字をみていまタケノコ?って思い調べて得心。種類があるのね。そらそうだ。マダケは6月頃まで収穫されるとか。先週、鰺の干物を買った。好みの魚のひとつ。日本で獲れる唯一の鰺は真鰺。真鰺の寿司は好物。干物は大好物。

終日、F先生のWP制作。おおまかな骨格を仕上げられそうだ。あとは写真と文章。今回の文章は、「わたしたちはこんなことをやってます」系から「あなたを迎えるために」系へシフトしたい。視点が変わるから宣伝臭をとりのぞきたいから除去しすぎると自分語りに陥ってしまう。各タイトルも難しい。文章の作成は骨格を仕上げるより数十倍難しい。

M先生のコピーや文章も気がかり。ほかにどんな内容を配布すべきか。アイデアよなぁ。やっぱり義歯と架工歯と冠。先生のシビアな診療を思い巡らしてかってに余計なおせっかいをやくなら、予後を見通せない精神的負担が高い治療技術は選択されない。それよりも安定したものをって感じかな。互いの身体的と精神的な負担が適正で持続できるような口腔を知ってもらう。医学的じゃなくてためしてガッテンな視点で配布物を作成したいところ。

Amazonで『かくれた次元』 エドワード・ホール を購入。コミュニケーションでも言語的コミュニケーションの話じゃなくてノンバーバルなコミュニケーションについて、認識のお話なので即買い。中身を確認する必要なしって類の本。昨年ぐらいから言語的コミュニケーションへの関心が減ってきた感じ。もっぱらノンバーバルを理解したがっている自分。『沈黙のことば』 エドワード T.ホール なんてすぐれたタイトル。

正法眼蔵随聞記一 九 当世学道する人

『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.47

僕があなたの言うことを聞くとき、聞いていますよって訴えるため、あるいは気が利いたことを返すために考えながら聞いている。つまりあなたが話している内容をすなおに聞いていない。自分が残っている。

ミーティングで自分の意見や感想の内容に囚われすぎて、もっとも大切なことを聞き逃している。そんなふうに感じた。聞いているしりから何て答えようか思案している。その心の裏返しは、次に僕が話す内容を聴いてもらって相手からよく思われたいって気持ちがわずかでも残っているからだ。

自分の思念や思惑を消し去り、あなたが発する言葉をそのまま受け入れて吟味する。自分の思念や思惑をあてはめてない。文脈そのものを引き受ける。おもえば、あなたが発した情報量は膨大である。その場で即答できるような情報量は、あらかじめ持っている僕の”我”である。当意即妙の答えというけど、我を開陳したにすぎない。

ほんとうはその場ですぐに回答できない。沈黙をおそれない。膨大な情報量を持ち帰る。丁寧に静かに考察して自分の回答を練り上げる。次の機会に相手に伝える。

ひょっとして対話はリアルタイムを拒みたがっていて、タイムラグを受け入れたがっているのかもしれない。でも、当のひとたちは互いに待ちきれない。即時のやりとりのほうが刺激される感情は満たされる。

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