博覧

2011.05.30 くもり

04:30ごろに風の音で目が覚めた。 形容しにくい。ゴォーとかビューじゃない。リビングの椅子に座って外を眺めていた。5mほどある木が折れるんじゃないか、お店の看板が飛んでいくんじゃないかってちょっとビクビク。ここでこんな風だと始発の電車は発車しないよ。ふだんでもこっちの風は強くないのに近江舞子近辺は規制の数値を超えて運行が停止するから。

昨日、CMSやSNSが日常生活と仲良くむつみ合うようになったと書いた。インターネットが開発されてほんと便利。15年前、行き先の航空写真を見たりルートを検索したり、スマートフォンのGPSとか想像できなかった。SFを読んでいればそういう世の中がやってくるって確信していた人もいらっしゃったはず。

一方、インターネットと行政サービスはよそよそしい。健康保険や年金の手続きは出向かなければならない。雇用保険もかな。一部の行政サービスは便利になった。自分が想い描くような風景を一気に実現するコストと現在の状態から改善していくコスト。後者なのでしょう。前者は膨大なコスト。システムの設計と開発はかんたんじゃない。

行政サービスの場合、こっそり開発されてあんまり宣伝されないサービスもあったり。パスポートの電子申請を例に挙げると、発給された旅券1枚当たりの経費は約1600万円とか。開発費は約20億。利用している人にはこのうえなく便利だ。そうであっても5年か10年に一度の書き換えだし手続きが煩雑。

行政サービスと個人認証のセキュリティーは切り離せない。画面の移動と入力項目が増える。手元の紙と組み合わせた認証が必要になったりも。利用者はいざ画面に向かうととまどってしまう。煩雑な手続きを踏まなきゃ行政の落ち度って責められる。

ぼくには便利でもはじめての人にはなにがなにやらのサービスもある。確定申告のオンラインサービスがそう。なにをどう入力したらのよいのか。イライラ。だったら税務署に行って聞きながら書いたほうが「はやい」よと。当然の選択。

進行はユーザーフレンドリーでも大半の人は画面の文章を精読しない。ぼくも確定申告なら読むけどその他のサービスだと読まない。会計事務所で確定申告をしていたからPCの画面をスイスイ入力できるだけ。

プロか否かは知識と経験(体験じゃない)の多寡に加えて、リアルな空想だと僕は考える。プロの空想は具体的で鮮明。

正法眼蔵随聞記 二 三 広学博覧はかなふべからざる事なり

『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.74

「広学博覧はかなふべからざる事なり。一向に思ひ切ツて、留るべし」はぼくの心を見透かしている。まいったなあ。

森博嗣先生がなにかの著作で、「ひとつを知っている人はたぶんすべてを知っている」みたいなことを書いていらしゃった(原文どおりじゃないし勝手な記憶が都合のよいように文章を書き換えている、やっぱり引用と原典は大切)。同じような匂い。

「人師先達ノ気色すまじきなり」も耳が痛い。どうして先輩顔したくなるんだろうね。自己分析は嫉妬。野中広務氏が「男の嫉妬ほど怖いものはない」とおしゃった(たしか『野中広務 差別と権力 (講談社文庫)』 魚住 昭 と思う)。麻生太郎氏の差別発言はその一端なんだろうけど、権力闘争の嫉妬はすさまじそう。嫉妬に男も女もないって思ったけどそうでもないらしい。

自分より優れた能力を持つ人を本能的、皮膚感覚的に判定しているような感じ。その人が年下なら先輩顔だし、年上ならはね返すか、うやまって近づかないか、なびくか。見分ける基準のなかに年齢が組み込まれている。年齢なんておよそ礼節と関係ないのに。わかりやすかったり見分けやすい要素にひっぱられちゃってる。

まずいなあ。