diary

犯戒

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2011.06.05 曇

腫れるね。天気ではありませぬ。誤字でもないのです。腫れてます、顔が。訳あって顔が体重64kgあったころの様相を呈す。土・日は安静。外出をひかえた。顔をひえぴた。日記を書いている今は晴れ、それは天気、私は腫れ。

薬がきついのかしら。ぐぅぐぅ寝る始末。が、寝ると腰は痛し。起きるとコクリ。私の身体はいったい何をしたいのでしょう。何を訴えたいのでしょう。身体はたいしたもの。意識への反抗期を保ち続けていられる間は幸せ。寝ている間は意識がない。意識がないって何?

土曜日の朝、M先生からメールを着信。ビットに変換された先生の想い。金曜日のミーティングに参加できなかったので書いてくださった。ありがたい。メールの最後のお言葉に顔が赤らむ。恐悦至極。

先生から「クライアントとの関係を管理するのは生易しいことではない」(『選ばれるプロフェッショナル ― クライアントが本当に求めていること』 ジャグディシュ・N・シース, アンドリュー・ソーベル 第9章 落とし穴を避ける)を学びました。距離感。ほんっと、難しい。試行錯誤なんて生ぬるい。ひとりで勝手に距離感を遠ざけたり近づけて相手を戸惑わせたり。アリアリ。

知識が蓄積されると嬉しいものです。賢人から難しいお話をわかりやすく説明してもらえたら、自分は賢くなったと思ったりしちゃって。賢人と話す機会が増えれば増えるほど謙虚と尊大は寄り添わず仲違い。尊大を選ぶか謙虚を選ぶか。謙虚を選んでいるつもりでも端からは尊大に見えたり。その逆もそう。謙虚と尊大と距離感。なにかとてもとても大切なふるまいをM先生やスタッフのみなさまから教わりました。今も教わっています。

週末は横たわって音楽の空間へ。音楽っていいね。聴いているだけでそう思うんだからplayしてる人たちはステキすぎ。playの側に立った人たち。プロもアマも。ライブ。あの空間で全身に音をあびる。声のソープが身体についた娑婆のしがらみをはぎとり音のシャワーはきれいさっぱり洗い流す。偉大なり。ボーカルの人、ギターの人、ベースの人、ドラムの人たちはトランスの彼方。オーディエンスはトランスの行方を必死で追いかける。

正法眼蔵随聞記 四の(二) 犯戒と言ふは受戒以後の所犯を道ふか

『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.84

四の(一)に続き、さっぱり。戒、そのものを理解していないのでとっかかりすら見つからず。しょうがないね。くじけない。目をロイヤルコペンハーゲンのようにフラットにしていればいつか道が開けよう。とはスイーツな思惑。

すべての人、不特定多数な人、抽象的な「人」よりも目の前にいる人、ひとりの人、具体的な「人」に目を向ける。実践。そんな気配を文章から感じ取る。実践のために己の身体を差し出す。なぜだろ。自己犠牲が回り回ればどこかへつながるの?

不思議です。会わなくてもお話できる人はいる。反対に以前はよく会っていたけれど、会う機会が減ってぎこちなくなる関係。よく会っていたときの像を書き換えられなくて戸惑っている。

でもあたりまえですね。乗っている列車が違うんだから。かつて行く先の方向が同じでした。いまは上りと下りの列車にわかれて乗車したのかも。

そうそう養老孟司先生が「自然界には秩序が発生したら同じ量だけの無秩序がどこかに発生している」っておっしゃっていた(正確な表現ではない)。エントロピー? 物理法則?

人と人の出会いもそんな側面はあるのか、なんて。出会いの量と別れの量はつりあっている? でも質が違う。その質を維持するためにもがき苦しみます。私は量を求め、相手は質を欲する。反対も存在。ややこしい。いつになったらマッチするの。世間は私・相手・質・量のマトリクスだけで成立していません。そう理解しているのに物事はシンプルにシンプルに。複雑だからシンプルへ帰依したい。

で、列車に乗ってホームに並ぶ人々を眺めているとそこにいて、偶然が幸せをもたらしてくれるのです。ああ、うれし。

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