diary

廉直

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2011.06.10 くもりのち雨

顔の腫れがひいた。血の気が引いた。 痛みは居座っています。痛いです(これを書いてる6/13の朝も痛い)。痛みは寂しいらしい。友人を招きよった。腰と肩。夜寝られず。痛み同士が痛みを労っていたたまれない。

蒸し暑い。久しぶりの雨。紫陽花が艶っぽく、彩りをそえる。何があってもまた花を咲かせるプログラム。すばらしい。

フライパンで炒めた具材を皿に盛り、茶碗にご飯をよそい、味噌汁をお椀にくんで食卓へならべてお箸をおく。腰掛ける。手を合わせる。今日の晩ご飯を伝えるときや何も言わず目を閉じていたり。最近なら紫陽花の様子を伝える。祈りは生活の一部に組み込まれた。忘れて食べてしまうときもありますが。

怨念と嫉妬がうずまく政治がヘッドラインに鎮座。いろんなものを押しのける。ヘッドラインは祈りの無力を自覚させて沈みふさぎ込ませる。そんな沈鬱は記号に支配されている証左。頭が紡ぎ出すヘッドラインの記号は無視してよろし。3.11、言葉で伝えられないことを学んだじゃないか。

身体を動かしている人へ思いを巡らせよう。不明者を捜す人、避難している人を診る(看る)人、瓦礫を処理する人、強烈な匂いを放つ魚を片付ける人、道を修復する人、家を守る人、ご飯をつくっている人、遺体を探し続ける人。まだまだいらっしゃる。動いている。

午前中、アルバイトの資料が届いたので入力。週末はこれに没頭だなぁ。ながらの入力。ながらの「何」を選曲するかが悩ましい。THE COLLECTORSや怒髪天はノレそうだけど売上を未収と打ち間違えそうだ。fishmansはいかんだろう。入力どころじゃなくなる。もう全部ゼロでええやんってなりそうだ。やっぱり歌詞に引き込まれない海外ですか。というわけでLauryn Hill, Corinne Bailey Rae, Julie & Khari, Laura Iziborをチョイス。

昼から大阪へ。まだ痛い旨を申し上げてお薬をもらう。ボルタレンは処方されず。って書いたら何だか怪しげな感じだな。経過は良好と説明くださったので安心。信頼と現実のすり合わせを考えながら歩いていたら自転車にひかれかけた。信頼しています、でも現実は痛いんです、じゃぁどうやってすり鉢でゴリゴリしましょうって悩む。すりあわせたらどんな風味なんでしょうか。実に興味深い。

本屋で 『知るということ 認識学序説 (ちくま学芸文庫)』 渡辺 慧『数学入門〈上〉 (岩波新書)』 遠山 啓 を購入。知るということが特に楽しみ。目次だけでワクワク。

19:00からM先生のミーティング。最後のコメントで、「放置自転車のかごはゴミ箱になる」というデザインのお話を開陳。衛生管理を話し合っていたらいつしか定期健診のシステムを論じてる。よくあります。問題は複数あるのか一つなのか。何が問題なんだろう。

実のある話し合い。ただし実があるだけじゃあ足りない。摘まなければならない。摘んでやり丁寧に梱包して相手に届けて召し上がっていただく。そしてまた実らせる。運用と継続。

コメントを抽象化しすぎると伝わらないし、具体的すぎればHOW TOをしゃべっているにすぎない。難しい。ぼくの役割はHOW TOの提示じゃない。スタッフのみなさんが自分たちで問題を設定する。それには何が必要か。何をデザインすればよいか。そのあたりが僕の役割と自己分析。

M先生、スタッフのみなさん、ありがとうございます。こういう役割を演じられる価値。嬉しい。

ぼくの問いはまだまだ浅い。問いは深く深く。どん底まで深くほったらまだ掘れる。

今日は文字数オーバーなので正法眼蔵随聞記はなし。

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