diary

遁世

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2011.07.05 晴れ

上から目線。何様。発言のマナー。支持母体の詮索。福岡空港で毎年荒稼ぎ。「こういう言い方」から察する成功体験。怒号と憤怒がとびかい評論は弁舌さわやか。当初はひかえめに報道していた各社は翌日から異口同音の批判と揶揄(どうして翌日から一斉に批判と揶揄がはじまったのかわからない)。

見た目や言い方、雰囲気、ふるまいをあげつらう。あるいは「できるだけ「バカが多い」方が自分の相対的優位が確保できると、エスタブリッシュメントの諸君は思っているから」(暴言と知性について (内田樹の研究室))って強烈な皮肉でたしなめる。

こわい。一色だ。多様性は建前。

「相手が自分の言うことを理解できるまで、知的パフォーマンスを向上させるためにはどうすればいいのか?」(同、内田樹先生)を考えずにぼくはコミュニケーションする。笑顔で頷きながら「お前はものを知らない」と相手をのんでいる。反対に相手はぼくの話を聞いているようでまったく聞いていない(目は口ほどにものをいう)。ゾッとするような冷ややかな視線をあびせられたりも。これらは受け手側の感覚だから相手はそんなふうに思われていると感じていないかもしれない。ときに「沈黙」は「恫喝」よりも記憶に強く残る。

「見える態度」や「発せられる言葉」よりも「見えにくい表情」や「発せられない思い」のほうが人を傷つけるし喜ばせる。

他方、擁護する人はいる。日頃の言動から察したら今回の態度は解せないとの由。何かあるのではないかいぶかる人も。そんな一面もあるのかと思う。「動画」は事実だ。擁護しているテキストを読んで複雑なんだなあって感じたから事実に対する自分の判断を留保した。まだ「なにもしていない(しなかった)」から判断できない。

経済成長と節電生態は似ていると感じてきた。どちらも一色で「しなければえらいめにあう」と脅されているみたいでこわい。

自分を書き換えるより他人のほうが書き換えやすい。

愚痴はここまで。久しぶりの愚痴。ちかごろ怒らなくなったけど、久しぶりに何だか得たいの知れない対象に怒りを感じたから愚痴っぽくなった。書きたくないのに書く気持ちが強くてついついキーボードを叩いた。まだ懐は狭く大人ではない。余裕がないんだな、やっぱり。この文章もまた他人を書き換えたくて書いてしまっている。

他人を書き換えられない。「知性が好調に回転しているときの、高揚感と多幸感」(暴言と知性について (内田樹の研究室))の「尻尾」をいっしょに探して自学自習のスイッチが入るまで待つ。待てないから苛立ち、脅し、宥め、怒り、持ち上げる。

正法眼蔵随聞記 十六 若し人来つて用事を云ふ中に

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.138

「所詮は事に触レて名聞我執を捨ツベキなり」という。評価や名声がどこかで気になる。きれいさっぱりすてられない。

相手の意見を素直に聞く。自分の意見を無心に伝える。この二つはとてもとてもむずかしいと感じてきた。

M先生のミーティングのおかげだ。以前のぼくは「これを言ったら相手は喜ぶだろう」「これを言ったら相手は不愉快になるだろう」「これを言ったら経営者はぐっとくるだろう」とねらっていたし、「自分の意見は相手にどんなふうに思われているか」を気にしていた。いまでも気にしている。

継続と連続と安定したミーティングがぼくに影響を与えた。名聞我執がよぎる回数は減った。皮肉な話だ。一期一会と銘じて出席していたときよりも、連続と安定したいまのほうが、素直に聞き、無心に伝える感覚は磨かれている。

継続と連続と安定の自分と断絶と断続と変動の自分。かつては中庸をめざしていた。いまは両極の階調から文脈によって点と様式を選択している。それが自己評価。

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